紀三井寺、高野山、吉野山、大阪2020/10/01 07:04

高野山郵便局前で

 8日目、3月31日(曇り・強風・雨)、紀伊湯浅-紀三井寺-和歌の浦-高野山。

 赤松君がここから一足先に帰京し、代わりに東君が同行した。 紀伊湯浅駅まで送りに来てくれた東君の叔父さんが、東君に「大学ちゅうところはやなぁーー、勉強するところやからなあ、まあ、しっかりやっとくれよ」と、言った。

 紀三井寺は、ソテツが印象的で、桜がきれいに咲いていた。 強風下の奥和歌の浦に、時化のためか漁船が沢山舫ってあった。 和歌山市駅から、高野詣でのお婆さんの団体と一緒に、雨の高野山に登る。 玄関前に沙羅双樹の木のある宿坊、上池院に宿泊した。 <高野山雨に沈める宿坊の舌にとろける胡麻豆腐よし> 精進料理の献立、夕食…天婦羅、うどん、お煮しめ、胡麻豆腐(白)、お澄まし、キュウリもみ、沢庵、ご飯、リンゴ。 朝食(1日)…海苔、がんもどき、ほうれんそう、味噌汁、沢庵、ご飯。 宿泊費一人400円。

 9日目、4月1日(曇り・時々雨)、高野山-吉野山-大阪。

 早朝、わずか3度と冷え込む中を、高野山の奥の院を詣でる。 橋本から吉野に出て、金峯山寺で金剛蔵王権現を拝し、吉野山一目千本の桜を眺め、下の千本を歩いた。 東君は京都へ、鈴木君は堺の知人宅へ行ったため、森川、湊の両君と夜の大阪の街を歩いた。 ひさしぶりに、洋食を食べ、この年1月10日に生誕125年の記念式典で来た堂島玉江橋北詰の福沢諭吉先生誕生地へ二人を案内し、碑文を読んだ。 <闇流る川の都に先生の足跡訥(とつ)くマッチで訪ぬ>

 10日目、4月2日(晴)、夜行列車で無事に帰京した。

核軍縮を実現し、冷戦終結を導いたゴルバチョフ氏の発言2020/10/02 07:20

 元ソ連大統領、ミハイル・ゴルバチョフ(89)さんの最近の発言に、今の言葉を使えば「いいね」をつけたい。 米ソ冷戦のさなか、夢想とも思われた核軍縮を実現し、冷戦終結をも導いた人だ。

 1985年3月、ソ連共産党書記長に就任、グラスノスチ(情報公開)、ペレストロイカ(改革)を掲げて、国内経済の再建、民主化に向けた大胆な政治改革を打ち出した。 1990年には共産党の一党独裁から複数政党制の容認、大統領制の新設など憲法改正を行い、同年3月には初代大統領に就任した。 外交面では、西側との緊張緩和を追求し、冷戦終結に携わり、10月ノーベル平和賞を受賞した。 しかし1991年8月にヤナーエフ副大統領らによるクーデター未遂事件で政治的権威を失い、ソ連共産党の実質的解体を宣言、同年12月25日のソ連消滅に伴い大統領職を辞任した。

 まず、2019年12月17日の朝日新聞のインタビュー(聞き手、副島英樹編集委員、喜田尚モスクワ支局長)を読んでみたい。 中距離核戦力(INF)全廃条約を結ぼうというきっかけは、1986年4月のチェルノブイリ原発事故だった。 この事故はソ連が抱えた問題を露呈させ、原子力エネルギーと核兵器が持つ破壊的潜在力を思い出させた。 核兵器を何とかしなければと考えさせる教訓となった。 事故の翌月には呼びかけ、10月、アイスランドのレイキャビクでレーガン米大統領と首脳会談を行い、1987年12月米国との中距離核戦力(INF)全廃条約に署名した。

 「2度目の広島を誰も望んではいけない、と思います。核戦力の90%を持つ超大国は、核廃絶に責任を持って取り組む――。それを世界の世論に請け負わなくてはならない。ロシアは今もその用意があります」「核戦争は許しがたい。それを始められるのは理性のない人間だけです。」「私は最近、ノーベル平和賞の受賞者たちに書簡を送り、核大国の指導者たちに訴えるよう呼びかけました。核の削減と撤廃の交渉に戻るように、と。核抑止論に立って、『核兵器は戦争から世界を守る』と核をほめちぎる専門家がいます。でも、少なくとも一度は世界を自滅寸前にしました。62年のキューバ危機です。これを忘れてはなりません」

 「冷戦終結の象徴」といわれ、核削減の第一歩だった、射程500~5500キロのミサイルをなくす中距離核戦力(INF)全廃条約は、2019年8月2日に失効した。 ゴルバチョフさんは言う、「条約の理念を思い起こしてほしい。ジュネーブでの最初の米ソ首脳会談(1985年11月)の共同声明に反映されています。『核戦争は許されない、そこに勝者はありえない』と。核兵器から解放される。これは今も私の祈りです」「この条約に続いて米ソ両国は核依存を減らす方向へと、軍事ドクトリンを見直しました。冷戦のピーク時と比べ核保有量は80%以上減った。東欧も西欧も軍事力を削減しました。冷戦終結の結果、みんなが手にした『平和の配当』だったのです」

「核抑止力は、世界を絶え間ない脅威にさらし続ける」2020/10/03 07:00

 ゴルバチョフさん、2019年12月17日の朝日新聞のインタビューの続き。 INFの失効は、「時代の流れを逆転させる恐れがあります。米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否し、2002年には米国の一方的脱退で弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約が失効しました。重要な柱の条約のうち、いま残っているのは新戦略兵器削減条約(新START)のみ、その運命も先行き不透明です」

「脱退の背景には、軍事的な制約から自由になり、絶対的な軍事的優位を狙う米国の意志があります。だが、今の世界で一国による覇権はありえない。これは虚妄の目標であり、願望です。安全保障環境が不安定になれば、新たな軍備拡張競争により、世界政治が無秩序と予見不可能性にさらされます。米国を含めすべての国の安全が損なわれるでしょう」

 「現職の米大統領が『我々は最も豊かで、どこよりも金がある。だから軍事化を進める』と発言しています。米国はいったい誰と戦おうとしているのでしょうか。それはロシアでしょう。しかし核兵器の新しい競争の道に再び立つことは許されません。妄想を相手にするのはやめて、現実政治に取り組むべきです。我々に必要なのは平和であって、世界の終末ではありません」

 まず必要なのは、「早急に米ロの対話を再開させることです。INF問題や新STARTの延長だけでなく、平和と安全の問題、核なき世界へ向けた動きを復活させることです。すべての核保有国は一歩を踏み出さなければなりません。核抑止力は、核兵器のエラーや核のテロから世界を守りません。むしろ世界を絶え間ない脅威にさらし続けます」

「チェーホフの銃」、核兵器はいつか火を噴く2020/10/04 07:15

 『現場へ!ゴルバチョフはいま』という連続コラムの最終(5)は(2020年4月3日朝日新聞夕刊)、「核兵器はいつか火を噴く」だった(副島英樹編集委員)。 ゴルバチョフは、トランプ米大統領を強い言葉で非難した。 「使える核」を掲げるトランプは、「核兵器なき世界」を唱えた前任のオバマ大統領の軍事ドクトリンを百八十度転換させた。 ゴルバチョフはオバマとは2回会い、2009年にオバマがノーベル平和賞を受賞した際には、<あなたは世界の雰囲気を根本的に変えた。私とあなたの世界観は近い>とのメッセージを送っている。

 ゴルバチョフはモスクワの執務室で、核への考え方を様々な形で表現した。 核抑止力論者のサッチャー英首相と激論し、「あなたは火薬の樽、すなわち核の上に座って有頂天になっている」と指摘したと明かした。 ロシアの劇作家チェーホフも引き合いに出した。 第1幕の壁にかけられた銃は、その後には必ず発砲されるべきだという創作上のルール「チェーホフの銃」に触れて、核兵器が存在すればいつか火を噴くことになると、その危険性を説いた。

 世界は今後、何を優先すべきか問うと、ゴルバチョフは、大量破壊兵器の根絶と、国際社会の信頼の回復を挙げた。

コロナ禍を契機に、対立から協調へ2020/10/05 07:14

 元ソ連大統領、ミハイル・ゴルバチョフ(89)さんが「試練としてのパンデミックと21世紀の新思考」と題する論考を朝日新聞に寄せた(9月25日朝刊)。 同氏が総裁を務めるシンクタンク「ゴルバチョフ財団」(本部モスクワ)の知見を結集してまとめられたA4判30ページに及ぶものだそうで、全文の翻訳はなく、「主なポイント」と要旨の記事、解説(副島英樹編集委員)が出ている。 「新思考」については、今年夏刊行された『ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で』(朝日新聞出版)の冒頭でふれているそうだ。 その源流は、科学者らが核兵器廃絶を訴えた1955年のラッセル・アインシュタイン宣言であり、「平和はアメリカ人のためだけではなく、すべての人々のためだ」と述べた63年のケネディ米大統領の演説に影響を受けたことを明かしている。 「新思考」は、人類全体の経験によって育まれてきたのだ。

 まず「主なポイント」。 30年前に冷戦終結を可能にした「新思考の理念」は、国際政治の場にカムバックすべき時だ。 対立から協調、普遍的な人間の価値に従って世界形成を。

 〇コロナによる財政的な打撃は、政策と思考の非軍事化を進める好機。 軍事支出の10~15%カットの提案も現実的な弾みとなり得る。 そのカット分を医療や教育に。

 〇コロナ危機は、米国と中国の二極対立をより深刻化させており、世界政治の展望にとって好ましくない。 ロシアは、この二極対立を防ぐ外交へ舵(かじ)を切るべきだ。

 〇コロナ禍は、国際的な格差と貧困の問題を改めて顕在化させた。 南米やアフリカでの感染拡大に警鐘が鳴らされており、国際的な協力体制の再建を急ぐ必要がある。

 〇核兵器もコロナも人類への脅威。 1980年代後半、米ソが核軍縮で初めて合意に達した時、人類は呼吸が楽になった。 コロナ後も、人類生存のための共通の責任を認識することで、対立から協調への移行が可能だ。