日本の食事をするE・S・モース2020/11/11 08:10

 たいへん面白いので、しばらくE・S・モースの『日本その日その日』を読んでみよう。 モースは、江ノ島で日本の食物で暮すことを決心し、昼飯は一口も食べずに出てきて、矢田部教授と一軒の茶屋(宿屋)に入る。 まずお茶、次に風味のない砂糖菓子とスポンジ・ケーキ(かすてら)に似た菓子が運ばれてきた。 これらはアメリカでは最後に来るのだが、最初に現われる。 ほとんど餓死せんばかりに、腹が空いていたので、何でも食う気だった。 しばらくすると、漆器のお盆にのって食事が出現したが、磁器、陶器、漆器の数の多さ! 箸は割マッチみたいにくっついていて、我々のために二つに割ってくれたが、これはつまり、新しく使い、そして使用後は折って捨ててしまうことを示している。 モースは、すでにちょっと箸を使うことができるようになっていた。 この二本の簡単な装置が、テーブル上のすべての飲食用器具の代用をする。 肉はそれが出る場合には、適宜の大きさに切って膳に出される。 スープは、我々の鉢(皿)にくらべれば、小さくて深くて蓋のある椀に入っている。 そして液体を飲み、固形分は箸でつまみ上げる。 飯も同様な椀に入っていて、人はその椀を下唇にあてがって口に押し込む。 だが、飯には、箸でそのかたまりをつまみ上げることも出来るくらい、ねばり気がある。 もしアメリカの軍隊で、箸の使用法を教えることが出来たら、兵隊の背嚢からナイフ、フォーク、スプーンを取り除くことができる。 入獄人(囚人)は一人残らず箸の使い方を教えられるべきである。 公共の場所には、必ず箸が備えられるべきである。

 食事に戻ろう。 油で揚げた魚と飯とはまったく美味だった。 各種の漬物は、それほどうまくなく、小さな黒い梅に至っては言語道断だった。 大きな浅皿の上には、絹糸でかがったガラスの棒の敷物があった。 棒は鉛筆位の太さで、くるくると捲くことが出来、煮魚のような食物の水気を切るには、この上なしの仕掛けである。 この装置は日本の有名な料理、即ち生きてピンピンしている魚を薄く切った、冷たい生の魚肉に使用される。 生の魚を食うことは、外国人の趣味には殊に向かないが(だが、我々は、生の牡蠣を食う)、しかし外国人もすぐにそれに慣れる。 大豆、大麦、その他の食物を発酵させてつくるソースは、この種の食物のために特別に製造されたように思われる。 私はそれを大部食った。 そして私の最初の経験は、かなり良好であったことを、白状せねばならぬ。 どうやらこうやら、まず満腹という所まで漕ぎつけたが、もしパンの大きな一片とバタとがあったら(その一つでもよい)万事非常に好都合に行ったことと思う。

 朝食はあまりうまい具合ではなかった。 水っぽい魚のスープ、魚はゴリゴリで、その他の「飾り立て」に至っては手がつけられぬ。 やむを得ず、モースは、罐詰のスープ、デヴィルド・ハムやクラッカース等の食糧品や、石油ランプ、ナイフ、フォーク、スプーン等を注文した。 特に欲しかったのは、朝のコーヒーで、それも買わなければならなかった。

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