海軍兵学校の普通学、三角法の最初の授業で2020/12/02 07:28

 池澤夏樹さんの小説「また会う日まで」。 秋吉利雄は1892(明治25)年11月18日、牧師の父・井上岩吉(福岡・水城生まれ)、母・吉広ナカ(二日市生まれ)の子として長崎で生まれ、鎮西学院を首席で卒業、18歳で江田島の海軍兵学校42期生となった。 卒業後、練習航海や艦の乗務が続き、26歳の時に横須賀の海軍水雷学校に入り、駆逐艦「沢風」の艤装のために長崎の三菱造船所に異動、竣工と同時に同艦に乗務、28歳を前に佐世保鎮守府勤務となる。 その後、東京帝大理学部で本格的に天文学を専攻すると決め、1926(昭和元)年33歳で卒業、築地の水路部に配属され、終戦まで19年間勤務した。

 海軍兵学校、午前中は普通学と呼ばれる課目で、国語、漢文、英語、代数、幾何、三角法、物理、化学、地理、歴史、倫理。 この課目がその後一つ残らず役に立った。 数学と理科は生涯を貫く主軸となったし、英語は実地に用いる機会が多かった。 地理は練習航海において、南洋の日食観測において、その後の戦争の展開を理解するにおいて、有用だった。

 三角法の最初の授業で、教官が質問した。 「ある男が立っている地点から南へ三里歩いた。そして東へ三里歩いた。更に北へ三里歩いた。すると男は元の場所に戻っていた。そこはどこか?」

 みな狐につままれたような顔をしている。 秋吉利雄は、しばらく考えて答えが閃いた。 「北極点です」 「そのとおり。諸君はこれから三角法を学ぶ。初めは平面三角だが、本格的にやるのは球面三角法だ。なぜなら航海術で必要になるのはこちらだから。平面の三角形では内角の和は二直角と決まっているが、球面では三直角にもなり得る。先の男が歩いた軌跡は正にその例だ」 利雄は、これを美しいと思った。

 「諸君はこれからもっぱら海里という距離の単位を用いる。英語ではノーティカル・マイル。これは1852メートルであって、陸上の1609メートルだから一割半ほど長い。なぜか?海里は緯度にしてちょうど一分(いっぷん)なのだ。60倍してみたまえ。一度の距離が得られるはずだ」 「111キロです」 「その90倍は?」 「1万キロです」 「ご名算。メートルという単位は極点から赤道までの距離の1千万分の1という原理に沿ってフランス人が測量によって作った。実際には誤差もあったので今はメートル原器によって定義されている」 知識は甘露だと、利雄は思った。

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