『ガリバー旅行記』の風刺とアイルランド2021/02/05 07:07

 昨日、その著者と題名をみた通り、『ガリバー旅行記』の初版が1726年に出版された時、作者ジョナサン・スウィフトの名前は記されていなかった。 ガリバー船長が書いた原稿が、ある人の手に渡り、本になったということにしていた。 作品に含まれる政治や社会への風刺が、イギリスの政界や宮廷の怒りを買うのではないか、と恐れたからで、政治的配慮が働いた結果だと、英文学者の中野好夫は『スウィフト考』(岩波新書・1969年)で指摘しているそうだ。

 監修の原田範行さんは、こう解説している。 刊行当時、『ガリバー旅行記』の最大の魅力は、ジャーナリストでもあったスウィフト一流の風刺(satire)だった。 当時のイギリスは、転換期にあって、議会政治と立憲君主制ができあがり、世界でいち早く近代市民社会が形成されていく時代だった。 ダブリン大学卒業後、ロンドン近郊で大物政治家の秘書をしていたスウィフトは、それを間近で目撃した。 ところが、スウィフトはダブリン生まれのアングロ・アイリッシュという出自もあり、結局は思い通りの官職に恵まれず、出世を断たれ、失意のうちに故郷に戻った数年後に『ガリバー旅行記』を書き始めた。

 第1部 リリパット国渡航記の皇帝は「オーストリア風の唇」だが、これはハプスブルク家の貴族を暗示する特徴だ。 トーリー党を思わせる「高踵(ハイヒール)党」、ホイッグ党の「低踵(ローヒール)党」が登場する。 ダブリンに帰ったスウィフトは、イングランドの圧政をペンの力で告発した。 中でも、貧困にあえぐ祖国の窮状を憂えた論文「慎(つつ)ましき提案(A Modest Proposal)」は強烈で、のちに夏目漱石が意気に感じて『文学評論』の中で一部邦訳しているそうだ。 第3部にはスタジオジブリの映画『天空の城ラプュタ』のモデルにもなったラピュータが登場するが、このラピュータに搾取されるバルニバービがアイルランドを下敷きにしているのは明白で、こんにち、スウィフトはアイルランドでは英雄だと、原田範行さんは、書いている。

 ちょっと脱線するが、節分に、アイルランド産の本まぐろの中トロを美味しく食べた。 正月に食べたトルコ産中トロより美味しいような気がした。

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