リリパット国の二大問題2021/02/07 07:58

 小人国「リリパット」で囚われの身になり「人間山」と呼ばれるようになったガリバーは、帝との間で、いくつかの決まりに同意することを条件に、ようやく解放された。 都には予告なしに立ち入らない、リリパット国に味方しブレフスキュ島の敵国が侵攻を準備中の艦隊の掃討に尽力すること、その他の条項を遵守すれば、臣民1728人を養うに十分な食料と飲料を日々与えられ、帝に自由に謁見できるという文書に誓約の上、署名した。

 リリパット国には、二つの大きな問題があった。 ひとつは国内での激しい党派争い、もう一つはきわめて強力な外敵による侵略の危険だ。 この帝国では二つの政党が闘争を続けてきた。 両者は靴のかかとの高低で互いを区別していて、トーリー党を思わせる「高踵(ハイヒール)党」と、ホイッグ党を思わせる「低踵(ローヒール)党」である。 帝は、政府当局と、帝が任命するすべての官職には「低踵派」のみ登用すると、決めていた。 しかし、皇位継承者の皇太子には、いささか「高踵」の傾向があり、現在権力を全面的に握っている「低踵派」は、それを懸念している。

 隣国ブレフスキュとの3年に及ぶ戦争の、事の起こりはこうだ。 卵の割り方に、卵の大きい側、すなわち尻から割る由緒あるやり方と、卵の小さい側、頭から割る方法とがある。 帝のお祖父様が幼い頃、卵を尻から割って、指を一本怪我し、父なる帝が「卵は頭の側から割るべし、これに背く者は厳罰に処す」と定めた。 この法律に民は猛反発し、これが元で六件の謀叛が起き、一人の帝が命を落とし、もう一人は帝位を失った。 この国内の騒乱を、ブレフスキュの君主が代々煽ってきたので、乱が鎮圧されるたび、追放された者たちはブレフスキュに逃れて庇護を求めるのが常だった。 これら「尻割派」の亡命者たちが、ブレフスキュの皇帝から非常な信任を得ているため、両国の間で血なまぐさい戦が起こり、三年の間、一進一退の戦いが続いている。 リリパット国は、主力艦を40隻、最良の陸海兵士も3万人失い、敵もこれよりさらに大きい損害を被った。 だが、彼らは目下、大艦隊を編制し、リリパットを襲撃せんと着々と準備を進めていたのだ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック