お后様の宮殿火事をガリバーが消した方法2021/02/09 06:59

 それからほどなくしての真夜中、玄関先で何百人もの叫び声がして、あわてて飛び起きた。 宮廷の方々が何人か、いますぐ宮殿に来てほしい、お后様のお住まいが火事なのだと告げた。 ガリバーの通り道を空けるように命令が出され、また幸い月の出ている晩だったので、どうにか誰も踏みつけたりせず宮殿に到着する。 見ればお住まいの壁には梯子がいくつもかけられ、バケツもふんだんに用意されているのだが、水は少し離れたところにしかなかった。

 もうどうしようもない。 万事休す、この壮麗なる宮殿も燃え尽きてしまうのかと思えたが、ガリバーの頭がいつになく落ち着いた働きを見せてくれ、ある方便が思い浮かんだ。 その晩、美味のワインをしこたま飲んでいた。 誠に幸運なことに、利尿作用のあるそれを、まだ少しも排出していなかったのだ。 これをガリバーは大量に放出し、しかるべき場所にきわめて効率よく行きわたらせたので、火事は三分もするとすっかり消え、建てるのに幾時代もかかったこの気高い建物の残りの部分は、無事に焼けずに済んだのだった。

 我ながら天晴れな奉公を行ったとはいえ、何しろやり方がやり方なので、帝がお怒りにならないか、心配だった。 この国の基本法には、いかなる身分の者であれ、宮殿の敷地内で放尿することは死罪とされていた。 帝からは「汝を公式に特赦するよう大法官に命令を出す」とのご伝言が届いたけれど、この特赦は結局降りなかった。 お后様がひどく気分を害され、宮廷の一番離れた側に移られて、あの建物はもう修繕して使う気はないとおっしゃり、側近の者たちの前でガリバーへの復讐を誓われたことが、伝わってきた。

 原田範行さんの注釈によれば、スウィフトは1704年に刊行した『桶物語』で糞尿について生々しく書いたせいで、不潔だ、下品だという表層的な批判を受けていた。 この部分は、『桶物語』の下品さに激怒し、スウィフトの昇進を妨げたアン女王(在位1702-14)の影を見る向きもあるという。 むろん上品とは言いかねるので、『「ガリバー旅行記」徹底注釈』(岩波書店)によれば、上品さを重んじた19世紀にはしばしば改変され、なんとガリバーがお上品にも大樽(そんなものがどこにあったのか?)を使って消火している挿絵が描かれたりもしている(朝日新聞9月4日夕刊に図がある)。