イギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたこと2021/02/28 08:10

  イギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたこと<小人閑居日記 2006.5.6.>

 吉村昭さんの『生麦事件』を読んだ時、薩英戦争でイギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたことが、ニューヨーク・タイムズやイギリス議会で問題になったことも、<小人閑居日記 2003.4.29.>「鹿児島の火災」問題に書いていた。 3月25日の福澤諭吉協会土曜セミナーで、松沢弘陽さんの話を聴きながら、問題になったことは知っていたが、それを『福翁自伝』にある「ある社中の英国人が議院に建言した草稿」と結びつけなかったことを、反省した。 たとえ結びつけても、George Crawshayまでは達しなかっただろうが…。

 「鹿児島の火災」問題<小人閑居日記 2003.4.29.>では、次のように書いていた。

薩英戦争でイギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたことが問題になった。 ニューヨーク・タイムズは「イギリスの残忍な行為」という社説を掲げて、町を砲撃して炎上させたのは、なんの罪もない市民の生活を奪ったことは残虐で非人道的行為だと指摘したという。 今度のイラク戦争の空爆で、しばしば一般市民の被害が問題になり、先の大戦の空襲(4歳の私も経験した)や広島・長崎への原爆はどうだったのかと、考えていたところだったので、興味深かった。

 吉村昭さんの『生麦事件』に、パーシウス号が城下町の上町に近づき、火箭(かせん)をしきりに放って、その一弾が上町向築地海岸の硫黄商薬師忠兵衛の土蔵に当って、数千俵の硫黄に引火し、強風にあおられて大火になったとある。 この「火箭」だが、皆村武一さんの『『ザ・タイムズ』にみる幕末維新』(中公新書)に「ロケット弾」とあった。 皆村さんの新書には、1864年2月10日付『ザ・タイムズ』から、この「鹿児島の火災」問題がイギリス下院議会で論議された経過がくわしく書かれている。 結論をいえば、ブックストン議員の動議にもとづいて、政府は鹿児島の町を焼いたことに対して遺憾の意を表明すること、イギリスが鹿児島で行なった攻撃(戦争)は文明国間で戦争に際して通常守らなければならない義務と政策に違反するものであること、攻撃を指揮したクーパー提督に個人的に責任があることが、採択されたという。 吉村昭さんの『生麦事件』では「バクストン」の動議は否決された、と結論が逆になっている。 皆村新書では否決されたのは、ロングフィールドの修正案だから、ブックストンの動議が採択された、となっている。

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