「智見の交易」「異説争論」で真理を発見、合意する2021/03/09 06:58

 「公議輿論と討論のあいだ―福澤諭吉の初期議会政観―」の第二節は、演説・討論・籠絡―その理論と歴史的背景と。 福澤は、このように議会の本質を演説・討論に見出し、日本における国民国家形成の当面の重要課題として、演説と討論の「始造」という課題にとりくんだのであった。 福澤が演説・討論というコミュニケーションの新しい方法に注目するにいたった背景には、人と人とのコミュニケーションにおける、話しことばによるコミュニケーションの意味の発見だった。 当時の啓蒙の知識人たちの中で、ほとんど福澤ひとりが、話しことばの領域にふみこんだ。 「文章に記せばさまで意味なき事にても、言葉を以て述れば之を了解すること易くして人を感ぜしむるものあり」(『学問のすゝめ』十二編)と、コミュニケーションにおける書きことば優位の伝統をひっくりかえし、学問の方法を、本読み中心から口頭の相互コミュニケーション重視に転換した。 それは福澤における学問観の革命的転換の重要な一側面だった。

 そのことは、おそらく福澤の書きことばにも影響した。 文章をわかり易くするために、新しい文体を創り出そうとする時、福澤が念頭においたのは、話しことば、寺子屋の手本『江戸方角』や真宗蓮如の『御文章(おふみさま)』だった。 福澤は、話しことばのレヴェルを引上げ、コミュニケーションの質を高めることを大きな目標にしていた。 そして、一見話しことばから隔った高度の議論文も、争点を特定し、特定の相手を予想して、彼らとの討論を頭において著された。 「親鸞上人が自から肉食して肉食の男女を教化したるの顰(ひん)に倣(なら)ひ」「世俗通用の俗文を以て世俗を文明に導く」(「福澤全集緒言」)のが、文体についての方法だった。 しかしそれは、文章を「俗文」のレヴェルにまで引下げることによってわかり易くするといったテクニック以上のことを意味していた。

 福澤にとって、話しことばによるコミュニケーションの基本的なタイプは、スピーチとディベイト、福澤が苦心して訳した「演説」と「討論」だった。 福澤の定義で、演説とは「大勢の人を会し」た「公衆」に「我思ふ所」を伝える、公衆に対して意見をのべる行為である。 討論は、一義的な定義はないが、複数の人が集まった場での談話、「集会談話」といえよう。 異なる意見の相互交渉、福澤のキイ・コンセプトでは、「智見」の「交易」、「異説争論」がその本質だった。

 福澤は、異なる意見の「交易」と「争論」によって真理を発見し、合意を形成する可能性をかたく信じた。 しかしそのような人間の合理性への信頼は、このような人間および人間の関係における合理性の限界についてのはっきりした自覚をともなっていた。 福澤は「人と人と相接」する討論の効果について大きな期待をいだいた。 しかしその福澤は、このような討論の成り立ち難さについて、とりわけ日本の文化と、幕末から文明開化にかけての状況のもとでの困難について、誰よりもよく自覚していた。 「人と人と相接」した意見の応酬の中で、互に「両眼を開て他の所長を見」うるに至ることを期待した福澤は、同時にそれと逆の現実に注意を促してもいた。

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