1960年秋「早慶6連戦」徳武三塁手・清沢投手対談2021/04/19 07:09

 1960(昭和35)年秋の「早慶6連戦」は、大学1年生だったから、神宮球場に通って全試合を観た。 友人が、当時の早稲田の主将で4番サードだった徳武定祐さんと知り合いで、徳武さんと慶應のピッチャー清沢忠彦さんが、「早慶6連戦」の追憶を対談している『ベースボール』増刊「大学野球2020秋季リーグ戦展望号」を送ってくれた。 清沢さんは3年生、11月6日の1回戦と8日の3回戦に先発して敗戦投手になっている。 リーグ戦は慶應の1勝2敗、両校9勝4敗、勝ち点4で並び、優勝決定戦となった。 11月9日は、延長11回1対1の日没引分、11月11日の優勝決定再試合も延長11回0対0で日没引分。 6試合目、11月12日の優勝決定再々試合は、早稲田3対1慶應で、ようやく決着した。 この間、早稲田の安藤元博投手(3年・坂出商)が、1回戦、3回戦、優勝決定戦全3試合49インニングを完投、564球を投げる獅子奮迅の超人的な活躍を見せた。

 この対談で初めて知った。 徳武さんの早稲田実業と、清沢さんの岐阜商業は、1956(昭和31)年夏の甲子園の2回戦で対戦していた。 8対1で岐阜商が早実に勝ったが、早実のクリーンアップは醍醐猛夫(元ロッテ)、徳武、王貞治だった。 清沢のカーブが打てず、唯一の1点は、8回の1年生王の右中間三塁打で、それはさすがだったという。 徳武さんは、1年後その清沢さんが慶應に進学すると聞いて、嫌な左ピッチャーが入ってくるなと思ったそうだ。

 2020年1月14日、「早慶6連戦」の両校監督、慶應の前田祐吉監督、早稲田の石井連蔵監督が、特別表彰で野球殿堂入りした。 対談で、清沢さんは「前田監督は優し過ぎた」と言う。 「早慶6連戦」の時、慶應には清沢さんと3年生の同期で、角谷隆(宇治山田)、丹羽弘(北野)、三浦清(秋田商)の、4人の好投手が揃っていた。 前田さんは試合当日まで、先発を言わないのだそうだ。 早稲田には、安藤元博の他に金沢弘(4年・岩国)しかいなくて、金沢は早慶戦前に右手の怪我をしていたが、2回戦を完投、敗戦投手になっていた。

 1勝1敗で迎え、慶應が勝てば優勝の3回戦、早稲田が2対0でリードの9回表、徳武さんが本塁突入を試みて、慶應の大橋勲捕手(2年・土佐)に体当たり、落球を誘って貴重な3点目を挙げた。 その裏、三塁の守備につくと、三塁側慶應の応援席からグラウンドへ物が投げ込まれた。 昭和8(1933)年秋の水原茂のリンゴ事件を想起させる瞬間だった。 それを見た慶應の前田祐吉監督は、三塁のコーチボックスに立って、騒動を収めた。 徳武さんは、前田さんがいなければ、自分は早稲田の歴史に汚点を残す選手になっていた、本当、感謝しかない、と語っている。

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