大正天皇と塩原御用邸の日々2021/04/25 07:24

 それで大正天皇について、まったく知らないなと思っていたら、19日の朝日新聞朝刊『まちの記憶』に、塩原(栃木県那須塩原市)「人々と交流深めた大正天皇」「飾らぬ人柄 自転車で散策/地元「御用邸は誇り」」というのが出た。 大正天皇が初めて塩原を訪れたのは皇太子時代の1902(明治35)年の夏、明治天皇の御生母の別荘が塩原温泉にあった。 気候風土を気に入られ、翌夏も塩原で過ごされた。 その際に借り上げたのが栃木県令(知事)を務めた三島通庸の建てた別荘で、息子で後の日銀総裁、弥太郎が「御用邸に」と別荘地の献上を願い出て、1904(明治37)年御用邸が構えられたという。

 三島通庸と三島弥太郎については、弥太郎の弟・弥彦が日本初のオリンピック選手として1912年のストックホルム大会に一緒に出場した金栗四三を描いた大河ドラマ『いだてん―東京オリムピック噺』を見て、下記を書いていた。 三島弥彦を演じたのが生田斗真で、三島家の女中が、現在の朝ドラ『おちょやん』をやっている杉咲花だった。 すっかり忘れていたが、那須塩原市には三島神社があるのだった。
三島通庸(みちつね)と那須塩原市の三島神社<小人閑居日記 2019.2.7.>
三島警視総監時代の福沢関係密偵報告書<小人閑居日記 2019.2.8.>
徳富蘆花『不如帰』のモデル問題二件<小人閑居日記 2019.2.9.>
三島弥太郎、アメリカ留学、第8代日銀総裁<小人閑居日記 2019.2.10.>

 大正天皇は、1879(明治12)年明治天皇の第3皇子として生まれ、1889年立太子、1900(明治33)年九条道孝4女節子(さだこ(貞明皇后))と結婚、1901(明治34)年4月29日裕仁(昭和天皇)、1902(明治35)年雍仁(やすひと・秩父宮)、1905(明治38)年宣仁(のぶひと・高松宮)、1915(大正4)年崇仁(たかひと・三笠宮)の4子をあげた。 1912年7月30日、明治天皇の崩御により践祚、大正と改元。

 そこで「まちの記憶」塩原だが、塩原温泉で江戸時代からの最古の旅館「満寿家(ますや)」の20代目で市教育委員も務める郷土史家の臼井祥朗さん(55)は、塩原での滞在を宮内事務官の「行啓日誌」で見ると、「ほぼ毎日御用邸を出て自転車や徒歩で塩原を散策し、多い時は1日3回。時には民家を訪れ、もてなしへのお礼をお手元金から必ず置いていかれた」、気さくな皇太子に住民は親しみを感じたようだと話している。 漢詩を好んだ大正天皇は幼い東宮と手をつないでの散歩など、塩原の山野に親しむ日々も詠んでいる。 感じるのは自然を愛し家族を愛す、優しく飾らないお人柄だと言う。

<等々力短信 第1142号>は、2021/04/25 07:27

<等々力短信 第1142号 2021(令和3).4.25.>「福沢諭吉と万国公法」は、4月17日にアップしました。4月17日をご覧ください。