天皇の前で東條首相が泣いたわけ2021/05/02 07:36

 大本営政府連絡会議は1日置いて11月1日に最終的な会議を開き、結論を出すことになった。 この「空白の一日」に、東郷茂徳外相は、今進めている交渉の日本側の条件(三国同盟は離脱しない、中国から撤兵しない、南部仏印にも駐留する)を「甲案」として、幾分かの譲歩をすべきだと、新たに「乙案」(太平洋海域では日米は武力衝突を避ける、蘭領印度支那での物資の獲得を互いに保証する、米国は年間一定量の航空機用の揮発油の供給をする。備考として、南部仏印から北部仏印まで日本軍は撤退する、中国市場に対する米国の進出を認める)をまとめていた。 「乙案」は実は外務省長老の幣原喜重郎、吉田茂らが密かにまとめたもので、東郷外相もこの条件なら、外交交渉がまとまるかもしれないとしていた。

 11月1日午前9時から始まった会議は、途中休憩を挟んで、翌2日午前1時まで16時間の激論が続いた。 東郷外相の「乙案」説明が終ると、杉山元参謀総長、塚田攻参謀次長が、「仏印からの撤兵など国防的見地から国を誤る策」だと猛然と反対した。 東條は休憩を宣言し、別室に杉山と塚田を呼び、「支那事変に触れていない乙案では、外交は成立しないと思われる。今、南部仏印からの撤退を拒否すれば、外相は辞職し、内閣は総辞職だ。すると次期内閣は非戦の内閣になるだろう。開戦までの時日は遅れてしまう」と言った。 東條ははからずも本心を表している。 二人は「不精不精」同意した。

 会議が再開されると、塚田は「日米両国は通商関係を資産凍結前に戻す」と条文を変更し南部仏印は曖昧にした上で、さらにアメリカは「日支両国の和平の努力に支障を与えない」と明記せよと迫った。 これで東郷の「乙案」はまったく骨抜きになった。 杉山と塚田は、東條の主張は自分たちの側に立っているとの自信から、乙案を形骸化することにしたのだ。 東郷は「これでは日本に利益があるだけで米国は受け入れない」と怒ったが、16時間になっていた会議は終結した。

 この日(11月2日)の夕方、東條、杉山、永野の三人は、天皇に会議の結論を伝えた。 この報告中に、東條は戦争に傾いている案だと自覚し、そして泣き出した。 天皇の避戦の感情に叛(そむ)いていると知ったからだ。 天皇はそういう東條を見つめていた。

 大本営政府連絡会議の決定を追認する御前会議は、11月5日に開かれた。 天皇は慣例により一言も発しない。 天皇の意思は枢密院議長の原嘉道が代弁しているとされた。 原の質問に、東條は中国からの撤兵などとんでもないと説明し、原が外交交渉での平和的解決に、なぜ駐兵を論じる項目がないのかと質すと、それは撤兵に関わるからだと、矛盾した答を返している。 時間を費やしたが、御前会議は大本営政府連絡会議の結論を承認する形になった。 とにかく「対米英蘭戦争ヲ決意」が前提になることが確認されたのだ。 12月初旬に備えて陸海軍とも公然と戦争準備に入ることが決まった。