二・二六事件、海軍の最高機密文書発見2021/05/03 06:57

昭和天皇は、「二・二六事件(昭和11(1936)年)と終戦の時との二回丈けは積極的に自分の考を実行させた。」(『昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記』(文藝春秋・1991年))と語っていた。 昨年2月放送されたNHKスペシャル「全貌二・二六事件~最高機密文書で迫る~」完全版を、3月5日BS1の再放送で見た。

終戦時、海軍の軍令部第一部長だった富岡定俊少将が、赤い表紙の海軍最高機密文書を密かに保管していたのが発見された。 海軍のすべての作戦を統括する軍令部が、事件の最中に記録した文書6冊だ。 今までは、事件後まとめられた陸軍軍法会議の資料が主な公文書とされてきた。 実は、海軍は事件の前から決起の情報をつかんでいて、ずっと情報収集を続けていたことが、最後に明らかになる。

2月26日午前7時、海軍軍令部に電話がかかってきた。 軍令部員がメモした第一報は「警視庁 占領」「内大臣官邸 死」「総理官邸 死」だった。 夜明け前、陸軍の青年将校が、部隊およそ1500人を率いて決起、重要閣僚を次々と襲い、クーデターを企てた。 岡田啓介首相は、間違って義理の弟が殺害された。 天皇の側近、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣らは、銃や刀で殺された。 決起部隊を率いたのは、陸軍の中の派閥「皇道派」を支持していた20代、30代の青年将校たちで、昭和恐慌後の農村の疲弊、貧富の格差、政治不信などを理由に、国家改造の必要性を主張し、天皇を中心とした軍事政権の樹立を目論んでいた。

しかし、昭和天皇は、勝手に軍隊を動かし、側近の重臣たちを殺害した決起部隊に、厳しい姿勢で臨もうとしていた。

赤坂と六本木に駐屯していた陸軍の部隊の一部が、国会議事堂や首相官邸など、国の中枢を占拠した。 これに対し陸軍上層部は、軍人会館(後の九段会館)に急遽設置された戒厳司令部で情報を集めていた。

今回の機密文書で、海軍が独自の情報網を築き、一般市民に扮した私服姿の要員を現場に送り込み、戒厳司令部にも要員を派遣、陸軍上層部に集まる情報を入手するなど、膨大な情報を収集していたことが判った。 決起部隊の動きを監視し、分単位で記録、報告していた。