3日目、奉勅命令が出、陸軍上層部も鎮圧へ2021/05/06 07:01

 3日目、2月28日午前5時、決起部隊の行動を「天皇の意思に背いている」と断定し、直ちに元の部隊に復帰するようにという奉勅命令(陸海軍の最高統帥者としての天皇の命令)が出された。 反乱軍と位置付けられた決起部隊は、天皇が自分たちの行動を認めていないこと、そして陸軍上層部はもはや味方でないことを知った。

 奉勅命令をきっかけに、事態は一気に緊迫していく。 同じ頃、決起部隊と面会を続けていた岡田為次中佐は、交渉が決裂したと報告する。 決起部隊が海軍を敵とみなしたので、海軍は芝浦に待機中だった約三ヶ大隊を海軍省の警備につかせる。

 鎮圧準備を始めた陸軍に、午後9時頃、決起部隊の首謀者のひとり磯部浅一一等主計が陸軍近衛師団の山下誠一大尉との面会を求めてきた。 山下は、磯部の二期先輩で親しかった。 天皇を守る近衛師団に銃口を向けることはできないが、鎮圧するというなら反撃せざるを得ない。 そして本計画は、十年来熟考してきたもので、何と言われようとも、昭和維新を確立するまでは断じて撤退できない、と言う磯部に、交渉は決裂した。

 4日目、2月29日、決起部隊が皇族に接触しようとしているという情報が前夜からあり、鎮圧部隊は皇族の邸宅周辺に鉄条網を設置、戦車も配備した。 午前6時10分、天皇を直接補佐する陸軍参謀総長、皇族・閑院宮の邸宅前に、決起部隊17名が軽機関銃二挺を持って現れた。 氷点下に冷え込む中を待ち続けたが、閑院宮は出て来なかった。

 この日の早朝、陸軍上層部は、ついに鎮圧の動きを本格化させる。 戒厳司令部は、周辺住民に避難を指示し、住民1万5千人は避難所に急いだ。 東京が戦場になろうとしていた。

 海軍の陸戦隊は攻撃準備を完了、第一艦隊は芝浦に集結していた。 軍令部は戦闘が始まれば、決起部隊が占拠している国会議事堂を砲撃することも想定していた。 芝浦沖から4万メートルくらいは飛ぶ、どんどん撃ったら、千代田区が無くなってしまう、と軍令部の矢牧章中佐が後に証言している。

 午前8時10分、ついに、陸軍鎮圧部隊による攻撃開始時刻が8時30分と決定される。 最前線で様子を探り続けていた海軍は、追い詰められた決起部隊の変化に気づく。 「10時5分頃」「陸軍省入口において決起部隊の約一ヶ小隊 重機関銃二門 弾丸を抜き整列せり」「30名降伏せり」「11時45分」「首相官邸の“尊皇義軍”の旗を降ろせり」「12時20分」「首相官邸内に、万歳の声聞こゆ」

 海軍は、最後まで抵抗を続けていた安藤輝三大尉の部隊に注目していた。 安藤は、「君たちはどうか部隊に復帰してほしい。最後に懐かしいわが六中隊の歌を合唱しよう」と、ピストルでコンダクトしつつ中隊歌を合唱。 雪降る中、第一節を歌い終わり、第二節に移ろうとするところで、ピストルを首に、倒れた。