「広尾ハイツ」401号室を買った話2021/05/25 07:05

 昨日の「広尾ハイツ」売り出しの広告は、毎日新聞1969(昭和44)年5月1日付、「広尾ハイツ誕生 70余年の信用と経験をここに」とある。 この販売会社は東京建物株式会社で、昭和45(1970)年5月15日の完成と見える。 実は、私は1969(昭和44)年10月に結婚することになっていて、住むところを探していた。 ブランドに弱いところがあり、まず広尾、東京建物が気に入った。 広尾ハイツは、広尾の商店街の奥、祥雲寺の広い寺域の中、東江寺の敷地に建つことになっていた。 聖心女子大学に面した北側の一番狭い部屋が3百万円台で、預金とローンで何とかなりそうだった。 父はいつも、将来どうなるかわからないから、米櫃(こめびつ)と自分の住む家だけは自分で確保しろと言っていた。 銀行に4年半ほど勤め、前年家業のガラス工場に入ったところだったが、そんな気はまるでなく家には一銭も入れたことがなかったので、半分余の預金はあったのだ。

 広尾ハイツの発売には、申し込みが殺到し、慶應幼稚舎の前の天現寺に、二、三日並んだ記憶がある。 家内(当時は婚約者)の父や家族も協力してくれた。 抽選をしたのか、詳細は忘れたが、ともかく購入の権利を得ることができた。

 1969(昭和44)年10月に結婚して、半年ほど品川中延の実家で暮らし、1970(昭和45)年5月に広尾ハイツの完成とともに、4階の401号室に引っ越した。 目の前の屋敷は、フランス公使の公邸だったが、その後、真如苑という宗教団体になり、現在に至っている。 広尾には6年半住んで、等々力に越したのだが、その間、1973(昭和48)年8月に有栖川公園隣の愛育病院で息子が誕生し、1975(昭和50)年2月には「広尾短信」(現、等々力短信)を創刊している。 広尾ハイツ401号室を売ることにして、忘れもしない1976(昭和51)年7月27日、ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕された日に、第一勧業銀行(現、みずほ銀行)の広尾支店でローンを組んで、10月に児玉誉士夫の豪邸があった等々力の、少し広いパークホームズ304号室に越したのだった。 三井不動産にいた友人の世話になったのは、その後の奥沢の現在の住まいも同じで、ヤドカリのように、少しずつ殻を大きくして、ずっと「マンション」暮らしだ。

 写真は、1973(昭和48)年12月16日、家内と生後122日目の息子、広尾ハイツ401号室のベランダ、バックはフランス公使公邸の森。

<等々力短信 第1143号>は、2021/05/25 07:08

<等々力短信 第1143号 2021(令和3).5.25.>「道頓堀と芝居茶屋、お笑いのルーツ」は、5月20日にアップしました。5月20日をご覧ください。