脇役・猪飼勝三郎が三度、両名に伝えた2021/06/12 07:12

6月6日放送の『青天を衝け』第17回「篤太夫、涙の帰京」、元治元(1864)年6月、一橋家の兵を選んで関東を回った篤太夫と成一郎は、江戸へ。 平岡円四郎は賊に斬られた時、天を指し「やす!」と、最後の言葉をもらしていた。 円四郎の悲報を聞いたやすは信じられず、一時取り乱して、川路聖謨に「落ち着け、やす」と言われる。 後日、見舞い品や遺品を整理していて、円四郎が庭で「慶喜様の新しい日の本を見るのが楽しみだ、どう変わるのか、めっぽうおかしねえに違いねえ」と言う、声を聞く。 江戸城の一橋家では、猪飼勝三郎(遠山俊也)が篤太夫と成一郎に平岡円四郎の死を伝えた。  ところで、円四郎が「おかしろくもねえ」「おかしねえ」と言うのは、江戸語だろうか。

 京都では、薩摩が長州を潰せと動き始める。 長州は形勢挽回のため、京都に出兵、朝廷は慶喜に長州を討てと命ずる。 長州勢は御所に突入、慶喜が指揮する幕府軍と戦う「禁門の変」となる。 薩摩の介入で、長州は壊滅、幕府軍の勝利に終わる。 西郷隆盛は、慶喜を「武芸達者という平岡殿の言葉は、まことであった」 長州びいきの公卿を抑えたのも一橋やそうで。 「しばらく仲良くしとった方がよさそうやな」と。 数日後、四国連合艦隊が長州の砲台を撃ちのめし、長州は攘夷を諦める。

 江戸にもこの情報が届き、猪飼勝三郎は二人に、外は大騒ぎだ、鳶の者や町火消が長州の上屋敷を打ち壊している。 一橋様のご活躍が評判だ、早く京へ帰ろう、と。

 篤太夫と成一郎は、中山道を京へ戻る途中、父・市郎右衛門の計らいで、血洗島に一里の深谷宿はずれで、二人は妻の千代とよし、子供たちと会う。 篤太夫「俺に道を開いてくれた恩人を亡くしちまった。兄イたちにも迷惑をかけ、かつての仲間は筑波山で幕府と戦っている。俺は……俺の信じた道を……」 千代は篤太夫の胸に手を当て、「大丈夫。お前様がこの胸に聞いて選んだ道を信じております」 篤太夫「平岡様に頂いた務めを果たすこと、俺の今、成すべきことだ」

 一行が岡部の領内を通っていると、岡部藩代官・利根吉春が「ご一行の中の渋沢両名は、当領分の百姓、村方へお返し頂きたい」と止める。 猪飼勝三郎が前へ出て「渋沢両人に村方に帰られては、一同の者が困りまする。両人は、縁あって当家に入り、今となってはかけがえのない家中の者、一橋家としては到底承服致しかねる。お断りいたします」 「ハ、ハ、しからば、どうぞご通行を」