野口冨士男『海軍日記―最下級兵の記録』<等々力短信 第1144号 2021(令和3).6.25.>2021/06/20 07:45

 大学同期で法学部卒の平井一麥(かずみ)さんは定年後、私小説を中心にした純文学作家、お父上野口冨士男さんの遺した厖大な日記を整理するため文学部に学士入学した。「現代文学」の講座がなく、やむなく「日本社会論」から切り込み、2008年10月に『六十一歳の大学生、父 野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』(文春新書)を出した。 父親の日記を読み返して、自分が十分知っているつもり以上だったのは、その父の文学への思いとともに、母親の苦労が父を支えていたということだったとある。 野口冨士男さんは、私の父と同じ明治44(1911)年生れだ。 生誕110年、このたび野口冨士男『海軍日記―最下級兵の記録』が40年ぶりに再刊、中公文庫で初文庫化された。

 手にした私は、のめり込むように読み、置くことが出来なかった。 戦争末期の昭和19年9月14日、丙種合格、体力虚弱、病気持ち、33歳の作家が、第二国民兵として横須賀海兵団に召集された。 敗戦で復員するまでの軍隊生活の日常を顕微鏡的に観察し、「一行の嘘も書くまい」と綴った日記に、自ら精密な注釈と補遺を付したものだ。 敗色濃厚な、近代日本臨終の記録である。 小型の手帳にカンニングペーパーのような最小の字で、後架や防空壕の中で寸暇をぬすんで、鉛筆を走らせ、その秘匿には最大限の注意を払い、靴下の中にしのばせて外出し、密かに連絡し面会に来た家族に持ち帰らせ、4冊になった。 軍隊は防諜の建前から、極端な秘密主義で、どんな些細な事実も外部に漏らすまいとしていたから、露見すれば軍機保護法違反の罪に問われることになる。 穏便にすまされても、下士官か兵長に半殺しの目に合わされただろう。

 海軍では個人制裁はほとんど行われず、総員罰直で、代表的なのが「バッタア」だった。 「整列ッ」の号令、20分から30分の説教、野球のバットから転じたバッタア、硬質の樫の精神注入棒で、直立不動から両脚を開き、両腕を差し上げたまま、上体を45度傾けた姿勢で、尻っぺたをいやというほど何本か続けさまにぶん殴られるのだ。 夫人のいわゆる「軍服を着せられた病人」も、例外ではない。 硫黄島の前線から患者がどっと入院し、海軍では栄養失調症の病名は、不馴化性全身衰弱症と改められた。 著者も海軍「不馴化性」患者の草分けの一人と言い、復員後全快まで8年かかった。

 一麥さんの母、直子さんが、文学仲間、国鉄関係、親戚、ご近所等、あらゆる伝手を求めて、面会の機会を作り栄養のある食べ物を用意し、冨士男さんの待遇改善の為に東奔西走する姿が、涙ぐましい。 応召時の日章旗の小さな手形を始め、満三歳からの一麥さんが、日記の随所に登場する。 父上の仕事を広める活動を続け、自著の献辞を「亡き父野口冨士男と母直子に捧ぐ」とした一麥さんの気持がよくわかった。

(ちょうど「父の日」なので、今日、発信することにした。)

コメント

_ 宮川幸雄 ― 2021/06/20 13:02

野口冨士男さんの『わが荷風』は名著です。永井荷風評論の白眉と思います。奥様の関係で埼玉県越谷市へ疎開されたと聞いております。その戦後の日記、『越ケ谷日記』があります。越谷市立図書館で頒布してくれるとのことですが、なかなか購入の機会を得ません。近日、このブログの後押しで越谷市を訪ねたいと思いました。

_ 轟亭 ― 2021/06/20 13:58

越谷市立図書館に「野口冨士男文庫」があります。 平井一麥さんは、ご存知坂上弘さんとともにその運営委員会委員です。『越ケ谷日記』は生誕百年、文庫解説20周年の2014年には『越谷小説集』が越谷市から出版されています。野口冨士男著の文庫は、『わが荷風』『私のなかの東京』が岩波現代文庫、『風の系譜』『なぎの葉考・少女』が講談社文芸文庫にあります。

_ 轟亭 ― 2021/06/20 14:44

野口冨士男『感触的昭和文壇史』も、2017年に講談社文芸文庫から出ています。

_ 轟亭 ― 2021/06/21 21:23

野口冨士男著『海軍日記―最下級兵の記録』(中公文庫)ですが、私は平井一麥さんから頂戴しました。発売予定日が6月23日(水)だそうなので、よろしくお願いします。

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