車浮代の小説『蔦重の教え』の幕開け2021/06/28 06:55

 蔦屋重三郎とその時代について、まず概観し、サントリー美術館『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は 蔦屋重三郎』展図録から田中優子さんの「蔦屋重三郎は何を仕掛けたのか」を長々と紹介してきたのには、訳があった。 高校時代の同級の仲間の一人が、蔦屋重三郎の末裔であるという話を、いつだったか聞いて記憶していた。 5月下旬、朝日新聞一面下のサンヤツ(三段に八つの広告)という出版広告に、車浮代という人の小説『蔦重の教え』(双葉文庫)が出ているのを見て、その彼にご存知だろうが、とメールした。 キャッチコピーは、「「おめえに教えてやるよ。人生の勘どころつてやつを。」 歌麿や写楽を世に出した天才プロデューサー蔦屋重三郎のもとで「成功の本質」ひいては「人生の極意」を学んでいく、感動のエンタメ小説!」だった。

 友人に教えた責任というわけでもないが、自分でも興味があったので、一度も手にしたことのない双葉社・双葉文庫の『蔦重の教え』を読んでみることにした。 田中優子さんは、「黄表紙」を「社会を見据えた笑いの絵本(風刺にみちたSF漫画のようなもの)」としていたが、『蔦重の教え』は現代社会を見据えたSFだった。

 広告代理店で長年トップクライアントを担当し、営業部長目前の武村竹男課長が、社長から退職金倍額の早期依願退職か、課長職のまま子会社出向の選択を迫られる。 一か月前、先方の担当重役が急死した。 重役会議を病気と偽って休み、武村と約束した接待ゴルフに向かう途上の交通事故だった。 新しい担当は、生真面目で武村と趣味が合わず、歌舞伎鑑賞が唯一の趣味というので、別の広告主から買わされた歌舞伎のチケットを、部下の女性を使いにして届けた。 彼とその部下が、二人でそのチケットを使い、ついでに不倫関係に陥るなどとは、想定外の出来事だった。

 社長の通告に、武村竹男は失意のどん底に陥り、生まれて初めて吉原に足を向けた。 以前から目をつけていた馬肉を食べようと、吉原大門前にある『桜なべ 中江』という店に入った。 しこたまヤケ酒を飲んで酔っ払い、稲荷神社の鳥居の根元に放尿をした。 「あーあ、やり直してぇなあー」と、叫んだ瞬間、足元の地面がかき消えた。

 「おい! おい若造! でぇじょぶか!?」 ペシペシと頬を叩かれ、うっすらと目を開けた。 くっきりした顔立ちの男が覗き込んでいた。 「おっ、気付いたみてぇだぜ、なんでぇおい、お歯黒ドブで溺れるなんざ、心中崩れじゃねえだろうな。だとすりゃ晒しモンだぜ」 三十代半ばだろうか。 歯切れよくポンポン話す男は、ずぶ濡れの着物を着て、額を深く剃り上げている。