飛鳥山(あすかやま)と王子、地名の由来2021/07/02 06:58

 朝日新聞夕刊、猫の「マダニャイとことこ散歩旅」は6月16日から、「本郷通り」に入っている。 大河ドラマの渋沢栄一関連で、飛鳥山公園から始まっている。 「マダニャイ」とは何か、今、これを打っていて気付いたのだが、漱石の『吾輩は猫である』の猫で、「名はマダニャイ」のだった。 6月16日のコラム末尾に、「マダニャイ 夏目漱石作品をこよなく愛する子猫。好物はサバ缶。朝日新聞オリジナルキャラクター。」とあった。

 飛鳥山の名前の由来だが、たまたま見た6月24日のNHKテレビ『日本人のおなまえっ!』でもやっていた。 公園北側の飛鳥山を見上げる道路の石垣の上部に、一対の狛犬を見ることができる。 かつて飛鳥権現があり、やがて王子神社に合祀されたから、王子神社の朱印帳の表紙に八咫烏(やたがらす)の絵がある。 徳川八代将軍吉宗は、紀州出身だから、熊野に思い入れがあり、周囲に熊野ゆかりの地名や寺社のある、飛鳥山のこの地に1300本の桜を植え、庶民の花見を許した、と。

 「マダニャイとことこ散歩旅」「飛鳥山公園」は、さらに詳しい。 平安から室町期にこの地を支配した武士団の豊島氏は紀伊の守護を務めた。 そのため紀伊を本拠地とする熊野信仰に篤く、領地の荘園を熊野三山に寄進。 熊野からは飛鳥明神(上記、飛鳥権現だろう)を勧請し、飛鳥山の由来になった。 近くの王子神社も豊島氏が熊野から「若一(にゃくいち)王子」(若王子権現)を迎えた(勧請した)ことでその名がついたとされる(「王子」の地名の由来)。 「王子」は熊野権現の御子神の呼称で、熊野信仰そのものだ。 飛鳥明神は、王子神社に合祀されたため、飛鳥山に社殿や祠(ほこら)はないが、痕跡と思われる狛犬は(上に書いたように)今も公園北側の山腹に残されている。

 徳川吉宗は、タカ狩りや日光東照宮への参拝の帰りに、武蔵野台地の東端にあって、見晴らしがよいこの地を、度々訪れた。 1720(享保5)年以降、江戸城の苗木を飛鳥山に植樹し、上野と並ぶ桜の名所に育てた。 鳴り物や仮装、夜桜見物が禁じられていた上野(落語「花見の仇討」を知る者には違和感があるが)とは対照的に、歌舞音曲が許され、庶民が自由に楽しめた。 吉宗自ら無礼講の酒宴を催し、家臣にオランダ人の衣装を着せて踊らせたという。 吉宗の在職中に建てられた「飛鳥山碑」には、そんな熊野信仰と飛鳥山との関わりが漢文で記されている。 浮世絵でこの石碑と芝山、桜の三つが描かれれば、飛鳥山であることを意味した。 石碑の材料は紀州産の「青石」、公園に今も残る歴史の断片は、吉宗の古里への愛情を物語っている、と平畑玄洋記者は締めくくっている。

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