「徳川慶喜、パリ万博大作戦~600万ドルを確保せよ」2021/07/04 07:37

「英雄たちの選択」6月23日「徳川慶喜、パリ万博大作戦~600万ドルを確保せよ」「600万ドル借款交渉 知られざる実像に迫る」が、面白かったので、2回にわたって、書いておく。

将軍・徳川慶喜は、1867(慶応3)年パリ万博に弟・昭武(15歳)を代表とする使節団を派遣する。 1866(慶応2)年、慶喜の後ろ盾になっていた孝明天皇が亡くなる。 幕府は第二次長州征討に事実上敗北し、そこには薩長の連携があった。 実は、使節団には、追い込まれた幕府の巻き返しを図る密命が託されていたのである。 キレモノ小栗上野介が、フランス公使ロッシュと練り上げた600万ドルの資金を調達して、軍艦や武器を購入し、薩長に対抗しようとする起死回生の策だった。

万博外交が重要で、幕府が国際的に日本を代表していることを認めさせる必要があった。 パリ万博、42か国が参加し、7か月にわたって、1500万人が見物した。 日本の茶屋、芸者が煙草を吸うのが評判で、日に1300人が訪れた。 昭武の使節団は33名、渋沢栄一(28)が会計係兼書記だった。

軍事力の増強に迫られていた幕府は、勘定奉行や外国奉行の小栗上野介が陣頭指揮に当り、数年前からフランス公使レオン・ロッシュと交渉し、フランスから240万ドルを借款、横須賀造船所、製鉄所の建設を進めていた。 当時、フランスで蚕の疫病が発生、生糸が80%減少し、絹織物産地リヨン出身のロッシュは、1866(慶応2)年8月、小栗上野介と600万ドルの借款による軍艦・大砲の調達と、引換えに日本の生糸の独占輸入の契約を結ぶ。 600万ドルの資金調達には窓口としてフランスに会社をつくって投資を募るものだった。 勝海舟は小栗から、600万ドルによる軍艦で、薩長を倒し、他の大名も削小し、郡県制に改めるという最機密の計画を聞いていた(『開国起源』)。 この計画を引き継いだ慶喜は、イギリスが薩長を支援していることを知っていて、フランスの力を借り「夷をもって夷を制す」ると、フランスに傾倒した。

島田久仁彦さん(国際交渉士、元国連紛争調停官)…「焦ったね」フランスに有利過ぎる交渉。 木内昇さん(作家、『万波(ばんぱ)を翔(かけ)る』)…貴公子昭武(満14歳)で、徳川家が日本の長だとアピール。 鹿島茂さん…慶喜が維新後亡くなる前に、渋沢栄一に語っている(『昔夢会筆記』)、「幕府は自分の代で終わるだろうと思い、昭武に外国留学させて、その後のことを考えた」、慶喜は亡命政権を考えるほど追い詰められていた。

 果たして、600万ドルの資金調達は成功するのだろうか。