『西洋事情』は幕末明治の政策提言に大きな影響2021/08/05 07:07

 平山洋さんのYouTube授業「福沢諭吉とは誰か?」の続き。
 (3)幕末明治の政策提言に大きく影響を与えた
平山洋さんは、『福翁自伝』に3年分の空白のあることに注目する。 幕府
遣欧使節団の随員としての一年の旅から帰朝した後の、1863(文久3)年から1866(慶応2)年までで、1864(元治元)年には外国奉行支配調役翻訳御用の幕臣、旗本になっている。 その間、佐幕の運動をしていたわけで、維新後は新政府に対する敵対行動になるため、秘められた過去となった。 そうした人物は何人もいて、福沢は徳川慶喜の臣下の渋沢栄一を江戸時代から知っていたはずだが、1869(明治2)年が初対面だったと言っている。

  福沢諭吉の『西洋事情』は幕末明治の政策提言に大きく影響を与えている。 
  坂本龍馬「新政府綱領八策」(1867) 明治天皇「五箇条の誓文」(1868)
  福岡孝弟「政体書」(1868) 山本覚馬「管見」(1868)

  徳川家を静岡藩70万石に押し込めた明治新政府は、もとの幕府領を基礎に、アメリカ合衆国憲法の大統領を天皇にして地方分権の政治を始めた。 それは4年間続いたが、1872(明治4)年の廃藩置県で中央集権となった。

  (4)「五箇条の誓文」とは治世を始めるに際しての明治天皇の誓いである
  江戸で勝海舟と西郷隆盛が無血開城を巡って駆け引きをしていたと同じ3月14日、京都では新政府の基本方針となる「五箇条の誓文」が明治天皇によって示された。 (3)の内で、とりわけ「五箇条の誓文」は、日本の近代化宣言となる。 武闘派ではない諸侯会議派の参与由利公正(福井藩)と福岡孝弟(土佐藩)が中心になって立案したものだが、近代的立憲君主制を指向したものとして、現在なおも輝きを失っていないので、戦後も有効にすべきという人もいた。 由利も福岡も、議会政治と経済振興政策を主眼とする思想をもった実学者横井小楠(熊本藩)の影響下にあり、『西洋事情』によってそれまで曖昧だった議会や金融の仕組みを正確に理解するようになった。

  第一条・広く会議を起こしていっさいを議論によって決定すること。 第二条・官民一体となって経済を盛り立てること。 第三条・朝廷と諸侯は協力して庶民の生活向上に配慮すること。 第四条・旧慣を打破して普遍的な価値観に基づいた政治を行うこと。 第五条・知識を世界に求めて統治の基礎とすること。

  平山洋さんは、『西洋事情』と読み比べたときの類似点は、一目瞭然だとする。 第一条は『西洋事情』冒頭の英国の政治機構の説明、第二条は「文明政治の六条件」の第五条件「保任安穏」、第三条は第一条件「自主任意」、第四条は『西洋事情』掲載のアメリカ独立宣言の最初の部分、そして第五条は第三条件「技術文学」と相似た内容をもっているという。

 (5)日本の近代化の成功により「文明政治の六条件」はアジア諸国に広まる
  中国 三民主義(孫文1906) 韓国 民主化宣言(盧泰愚1987)
  台湾 十大建設と民主化(蔣経国1974) タイ チャクリー改革(ラーマ五世1895)