『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』の「夜の烏」2021/08/26 06:59

 野口冨士男さんの小説「夜の烏」を読んだのは、実は『海軍日記―最下級兵の記録』より前に、平井一麥さんからいただいた390頁の大冊、平井一麥・土合弘光・保阪雅子・伊藤あや編『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)を読んでいるからだった。 お二人はともに1911(明治44)年生まれ、今年2021年は生誕110年にあたる(私の父と同じだ)。 二人の作家は1948(昭和23)年1月創刊の「文藝時代」の同人として識りあい、お互いの作品の読後感を40年以上にわたり、書簡でやりとりした。

 平井一麥さんは「はしがき」に、「本音をぶつけ合い、「創作のモメント」「創作のプロセス」「小説の技法」「私小説論」などにおよんで、手の内まで見せ合っていますし、助言もし合っています。時には、指摘されたことに対する反論もあり、互いにスランプに陥った時期には励まし合ってもいます。野口は、ナマ原稿の読後感を求めたことすらありました。/二人は純文学作家として矜持をもちつつ、たがいに尊重し合っていました。長い間には友情にひびが入りそうになったこともありましたが、盟友関係は続きました。」と書いている。

 小説「夜の烏」についての昭和51(1976)年10月7日付、八木発、野口宛書簡は、まさにその一例である。

「「夜の烏」ただいま拝見しました。/これは野口冨士男でなければ書けない小説だと思いながら、たいへんおもしろく読みました。」と始まり、その「おもしろさ」を、(1)井上啞々という未知の人物の人間像を発掘してくれたこと、(2)その発掘の仕方が、学者的でなく、小説家的であること、(3)この人物がついに「夜の烏」として終わらなければならなかったのは、まさに彼自身が発掘した当の永井荷風によるものであったということ。 そして、最後に「夜の烏……。いやだなあ」という言葉が出そうになるのを「危うくねじ伏せ」る場面――ここで井上啞々なる人物は作中の「私」の内部に“生きた”(傍点) 存在として包みこまれている、この最後の一句の「おもしろさ」、と書く。 「ぼくはこのお作を読んで、ふいに鴎外の「史伝もの」を連想した。」 ゼイタクな注文として、作中の「岩崎」という人物にもうひと足踏みこんだ役をあたえてほしかった、という気がする、とも。

 実は、私も「夜の烏」を読みながら、野口さんが「岩崎」という人物を、なぜ「ちょっと厄介なかかわり方」などと、突き放した冷たい感じで書いているのかを、疑問に思ったのだったが…。

コメント

_ 轟亭 ― 2021/08/27 21:21

「図書新聞」9月4日号の「書評」(文学)に、大木志門東海大学教授の「文学談義、生活の諸レベルに渡る率直なやりとりの魅力」「註記、交友録、略年譜は詳細であり、学術的にも使い出のある重厚な一冊」という『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)の見事な書評があります。

_ 轟亭 ― 2021/08/28 07:54

今朝の朝日新聞読書欄には、保阪正康さんの書評も出ました。もう一人の私と向き合った40年、「貴重な教えを含んだ書である」と。

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