作家同士、本音をぶつけ合った「私小説論」2021/08/27 07:00

 野口冨士男発の八木義徳宛書簡の例も、みておこう。 昭和51(1976)年2月3日付、八木の「霧笛」(『文藝』2月号)を読了して、「表題としては「海霧」のほうがよかったのではないでしょうか」と始まる。 「《自分の父親を徹底的に》以下《それだけがじじさんがあんたの躰の中に深く入ってる……》という三行には、伊作のかなしみといったらよいのでしょうか、なにかジーンと心に染み込んで来るものがありました。この三行のなかに、この作品の精神のすべてというか、核があるのではないかと思いました。」

 「高峰好之と伊作のばあい(「霧笛」の高峰と伊作は、八木と実父=田中好治。八木は庶子として出生、認知されず、実父と同居したこともなかった)と違って、ぼくと父との法律上、戸籍上の関係は対世間的な意味では実父子ながら、父とぼくは一しょに暮したり、はなれて暮したりの幾反復のあと、青年時代にはついに戸籍上でもはなれる(野口藤作は再婚し、義弟四人が生れたため、戦前の民法では長子相続だったため、藤作の戸籍から離れ、母平井小トミの養子になった。筆名の野口冨士男は継続した。)という経過をたどりまして、そういう自身にひきつけすぎているのかもしれませんが、あなたも六十歳を過ぎて「憎悪」しきれない「父」とは、自分にとって何なのか、その歯ごたえのようなものを吟味しているのが「風祭」を書かせ、そしてまた今度は「霧笛」を書かせたのだな、と思います。」

 野口発、八木宛、昭和51(1976)年6月25日付、「津軽の雪」(『文学界』6月号)の感想。 「このお作が一種の私小説であることは、ぼくも否定しませんが、「風祭」を私小説とする見方からすれば、やや私小説の系列からはなれている作風ではないかというふうに受取り、その意味で、前には父上を書き、こんどは母上を書いたと単純には並列できないように思いました。」 「手法というか、作者のアングルは、既成の概念でいう私小説――遠く自然主義に端を発する伝統的な私小説ではない、学兄の作風そのものがすこし違ってきている、変移しつつあるのではあるまいかという印象を受けました、/というのは、母上と学兄との相関関係が、直接法ではなく、きわめて間接的に描叙されているというふうに感ぜられた、ということです。」

 これに対する、八木義徳発、野口宛、6月29日付の返信。 「前の拙作「風祭」を私小説とする見方からすればこんどの「津軽の雪」はその私小説的作風から変移している――それは作者自身がそこから離脱しようとしてそうなったのか、それとも従前どおり私小説を志しながら結果としてそうなったのか、というふうに書かれていますが、ぼく自身としては、意識的に離脱しようとしたのではなく、結果としてそうなった、というよりほかはありません。」 「またお手紙のなかで、ぼくとお袋との相関関係が「直接法ではなく、きわめて間接的に描叙されているというふうに感じられた」と指摘されていますが、貴兄にこう指摘されてはじめて、「なるほど、そういわれればそうだったな」とあらためて気づいた次第です。これもぼくとしてはとくべつに意識したことではなかったので、貴兄のこの鋭い指摘に驚きました。」 「お袋の生れ育った津軽という風土への血液的な親愛感(親愛感というよりはむしろぼく自身の内部に当然あるであろう津軽的なもの)とお袋の運命の狂いが実に単純な出来事を原因としながら、その狂い方の陰陽の落差が大きかった、ということへの僕自身の現在の感慨、そういうものを漠然とテーマとして考えた、というわけでした。」