少女は、涙一滴落とさなかった2021/09/05 07:26

 次の日、杉山龍丸さんの机から顔だけ見えるくらいの少女がちょこんと立って、杉山さんの顔をまじまじと見つめていた。 「あたし小学三年生なの。お父ちゃんはフィリピンに行ったの。お父ちゃんの名は、○○○○なの。家にはおじいちゃんとおばあちゃんがいるけど、食べ物が悪いので病気して、寝ているの。それで、それで、あたしに、この手紙をもってお父ちゃんのことを聞いておいでというので、あたし来たの。」 顔中から汗をひたたらせて、ひと息にこれだけ言うと、大きく肩で息をした。

 小さい手が差し出した葉書、復員局の通知書によると、住所は東京都の中野、帳簿の氏名のところを見ると、フィリピン諸島の一つ、ルソン島のバギオで戦死になっていた。 「あなたのお父さんは戦死しておられるのです。」と言って、声が続かなくなった。 瞬間、少女は、いっぱいに開いた目をさらにパッと開き、そしてワッとべそをかきそうになった。 涙が目にいっぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。 それを見ているうちに、わたしの目に涙があふれて、頬を伝わり始めた。 わたしのほうは声を上げて泣きたくなった。

 しかし少女は、「あたし、おじいちゃまから言われて来たの。お父ちゃまが戦死していたら、係のおじちゃまに、お父ちゃまの戦死したところと、戦死した情況、情況ですね、それを、書いてもらっておいでと、言われたの。」 わたしは黙ってうなずいて、紙を出して書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にぽたぽた涙が落ちて書けなくなった。

 少女が不思議そうに、わたしの顔を見つめていたのに困った。 やっと書き終わって封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手でポケットに大切にしまい込んで、腕でおさえてうなだれた。 涙一滴落とさず、一声も声を上げなかった。

 註に、こうあった。 杉山龍丸(すぎやま たつまる・1919年(大正8年)~1987年(昭和62年))福岡県出身。祖父は政財界のフィクサーといわれた杉山茂丸、父は作家の夢野久作である。陸軍軍人(終戦時、陸軍少佐)、農業技術者。私財を投じてインドの各地にあった砂漠地帯や土砂崩壊の地域を緑化し、「インドの緑の父」Green Fatherと呼ばれる。インド、パンジャブからパキスタンまでの国際道路のユーカリ並木とその周辺の耕地は杉山の功績であるとされている。 私は、これを読んで、以前見たテレビ番組を思い出した。