杉山家四代目、杉山満丸さんのことなど2021/09/17 07:08

 杉山龍丸さんの、もう「一つの悲しみ」<小人閑居日記 2021.9.4.>
少女は、涙一滴落とさなかった<小人閑居日記 2021.9.5.>
「国士」杉山茂丸と、二代の「作家」夢野久作<小人閑居日記 2021.9.6.>
「インドの緑の父(Green Father)」杉山龍丸<小人閑居日記 2021.9.7.>
 を、お読みになった藤原一枝先生から、ブログにコメントを頂き、さらにこんな質問が来た。 三代目は いつ どこで 亡くなったか? 老境で語っていたことは? 四代目・五代目は? 彼の精神をもっとも受け継いだのは?

 私に詳しく述べるだけの知識はなかったが、ちょっと調べて、こんなご返事をした。

三代目杉山龍丸は、1919(大正8)年5月26日生まれ、1987(昭和62)年9月20日に68歳で亡くなっています。 息子の四代目は、杉山満丸、1956(昭和31)年2月3日生まれ、1980(昭和55)年東京農業大学農学部蚕糸生物学科卒業、九州産業大学付属九州産業高校で教鞭を執りながら、「夢野久作と杉山三代研究会」というのをやっているそうです。

 お尋ねの「老境で語っていたことは?」ですが、満丸さんの書いた「インドを緑に変えた偉人―Green Father杉山龍丸伝―」がネットで見られます(下記)、台湾から種籾の持ち出しに成功した蓬莱米がインドで豊かに実ったのを見た龍丸は「男の生きがいとは、こういう事を言うんだ。インドの大地にキスしたい気分だ」という言葉を遺しているそうです。 
http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec52/ard52_key_note7.html

 関連の文献。 〇杉山龍丸『砂漠緑化に挑む』葦書房・1984年。死の2年前の論文を含み、緑化のノウハウをまとめている。
〇杉山満丸『グリーン・ファーザー インドの砂漠を緑にかえた日本人・杉山龍丸の軌跡』ひくまの出版・2001年。インドの緑化事業の軌跡を訪ねたドキュメント。

チェコ語の「ヘイ ジュード」<等々力短信 第1147号 2021(令和3).9.25.>2021/09/17 07:11

 大河ドラマ『青天を衝け』で父親の渋沢市郎右衛門を好演している小林薫(70)が、「土曜スタジオパーク」に出ていて、若き渋沢栄一の活躍にひっかけて、「若い人は理想を追い求めねば駄目だ、現実的じゃないなどと言わずに」と、話していた。

ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊し、冷戦が終結した後、世界が平和になるのかと思ったら、なかなかそうならない。 独裁的強権的な政権は相変わらずで、香港や新彊ウイグル、ミャンマー、アフガニスタンなど、民主化、自由化はなかなか進まない。

9月14日に「BSプレミアムカフェ」ドキュメンタリー『世紀を刻んだ歌 ヘイ ジュード 革命のシンボルになった名曲』(2000年番組の再放送)を見た。 ビートルズの「ヘイ ジュード」は1968年、ジョン・レノンがオノ・ヨーコとの再婚へ向かい、精神不安定になったジョンの息子ジュリアンを慰めるために、ポール・マッカートニーが当初「ヘイ ジュール」の題で作詞作曲したという。 これは、知らなかった。

同じ1968年、チェコスロヴァキアでは、共産党ながらドプチェク第一書記が「プラハの春」と呼ばれる民主化・自由化政策をとっていたところ、突然8月20日ソ連軍を中心とする東欧5か国軍が戦車隊で侵攻、民主化運動を鎮圧した。 チェコの歌手、マルタ・クビジョバは、この名曲に祖国への思いを込めたチェコ語の歌詞(ズデニエック・リティーシュ作詞)をつけて、歌ったのだった。 「人生は素晴らしいけれど、人生は残酷なもの。私たちは人生にあやつられるけれども、どうか悲しまないで…」

 マルタ・クビジョバは、1942(昭和17)年にチェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェに医者の娘として生まれ、ナチスの支配から解放された幼時の1945年~1948年は平和で裕福だったという。 共産党の時代になり、高校を出て、大学進学資格を得る義務労働3年が必要で、ガラス工場の高温現場(ボヘミアングラス。私の工場と同じような窯の前)で働いたが、大学には進めず、劇場の歌手になる。 レコード会社の目に留まり、アイドルとしてデビューし、ヒットを飛ばし、ドプチェクの民主政策下では、歌手としての地位を確立した。 反体制派の映画監督ヤン・ネメツと結婚、民主活動家のバーツラフ・ハヴェルとも仲間だった。 1968年は26歳、民主化運動を鎮圧した共産党政権は、マルタのレコードを回収して街頭で割り、再三出頭させて、音楽協会から永久追放する。 マルタは内職の袋貼や、好意的に雇われたタイピストでしのぐ。

 1989年11月ベルリンの壁崩壊後7日で、チェコでも「ビロード革命」が実現する。 バーツラフ・ハヴェルは新大統領になり、マルタ・クビジョバは、心の支えにしていたカレル大学の学生に呼ばれて、20年ぶりに「ヘイ ジュード」を歌った。