真鍋淑郎さんと井上靖の詩<等々力短信 第1148号 2021(令和3).10.25.>2021/10/11 07:03

 「真鍋さん 言葉濁した日本への思い」「帰りたくない 調和の中で生きられないから」 10月9日の朝日新聞夕刊トップ、ノーベル物理学賞受賞真鍋淑郎さんの記事は、衝撃的だった。 1931(昭和6)年、愛媛県に村で唯一の、祖父と父が医者の家に生まれて90歳(私よりちょうど10歳上)。 1958(昭和33)年に東大大学院で博士号を取得後、アメリカに渡り、同年気象局研究員になる。 現在の海洋大気庁地理的流体動力研究所でキャリアを積み、1968(昭和43)年にプリンストン大学客員教授となった。

 受賞決定後の取材に、「非常に幸運で、コンピューターの購入代とかを米国の政府がやってくれた。うんっと、お金を使った」と述べた。 「日本へのメッセージ」を問われると顔をしかめ、「あれですねえ、あのう、うーん。非常に難しい問題でね」と言葉を濁した。 「(専門家から)政治に対するアドバイスのシステムが、日本は難しい問題がいっぱいあると思う」、「米国の科学アカデミーは、日本よりそういう意味でも、はるかにいい。だから、まあ、そういうところ、考える必要があるんじゃないですか」

 1975(昭和50)年に国籍をアメリカに変えている。 会見では、その理由も聞かれた。 「日本で人びとは常に、お互いの心をわずらわせまいと気にかけています。とても調和の取れた関係性です」、「アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい」、「米国で暮らすって、素晴らしいことですよ。私のような科学者が、研究でやりたいことを何でもやることができる」、「私は調和の中で生きることができません。それが、日本に帰りたくない理由の一つなんです」

 真鍋淑郎さんは、1997(平成9)年に日本の海洋科学技術センター(現・海洋科学研究開発機構)の領域長に就任したが、2001(平成13)年に辞任し、再び渡米、プリンストン大学研究員に戻っている。 当時、地球シュミレーターを利用しての他研究機関との共同研究が、所管の科学技術庁の官僚から難色を示されたのがきっかけで、縦割り行政が学術研究を阻害していることへの不満があったと、報道された。

 新聞の写真、真鍋さんの自宅の壁に、豪快な書の額があり、井上靖が熊野で詠んだ「渦」だという。 私は井上靖の詩が好きで、『詩集 北國』(新潮文庫)があった。 「渦」は、1947(昭和22)年の作。 「静かな初冬の日、藍青一色に凪いだ南紀の海は」と始まる。 真鍋家の額にある「南紀の海はその一角だけが荒れ騒いでゐた。波浪は鬼ヶ城と呼ばれるその岬の巨大な岸壁を咬み」と続く。 詩は後半、「あそこには鬼が棲んでいたのではない。棲んでゐた人間が鬼になつたのだと。」、「眞實、いつか鬼以外の何者でもなくなってゐる己が心に冷たく思ひ當るのであつた。」と終わる。

コメント

_ 轟亭 ― 2021/10/21 07:00

10月21日に、「真鍋淑郎さん宅のもう一枚の額の詩」を書きました。

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