巨大津波の後も海は甦った、何十億年と続く自然2021/10/20 06:55

 畠山重篤さんは、エッセイストでもあると書いたが、番組で書棚のある素敵な書斎で原稿を書いている姿は、カキ養殖漁業者というよりインテリだ。 京都大学科学教育センター社会連携教授だそうだ。 まったく知らなかったが、『リアスの海辺から』『日本<汽水>紀行「海は森の恋人」の世界を尋ねて』『カキじいさんとしげぼう』『牡蠣とトランク』などの著書があり、日本エッセイスト・クラブ賞(2003年)、吉川英治文化賞(2012年)、みどりの文化賞(2015年)などを受賞している。

 番組で、残したい海に生きる術(すべ)を、孫の寛司君にいろいろと教える。 「メバル釣り」、小川で餌の生きたエビを探す、苔の角、流れが澱んだところに網を入れる。 生き物が好きだ。 カキの養殖場、カキ棚のカキのすみかに赤皿貝などが付き、魚が集まる。 その下で、メバルが釣れる。 カキ棚にカモメが卵を産む。 雑木林に役割があり、全ての生き物は関わりをもって生きている。 人間もその輪の中で生かされている。 小さな湾だが、その中で生命が巡っている。

 「胴柴漁」も、教える。 森と海がよみがえったことで、再開できた漁だ。 山に登って、葉のついた細い枝を伐る。 葉が大事、何本かの枝をしばって、中に空洞ができるように、クルッとひっくり返す。 それを海に沈めておくと、小魚や鰻が身を守る揺り籠にし、産卵するものもいる。 寛司君と引き上げると、タツノオトシゴが入っていただけだったが…。

 海が戻って来た矢先の、2011年3月11日、巨大津波が襲来した。 漁船や養殖用カキ筏が流失し、水の力の恐ろしさを実感した。 舞根では9割の家が流され、畠山さんの母を含め4人が亡くなった。 母は二階にいたが、窓が破れ、駆けつけると、顔に泥がついていた。 人々は高台に移転し、畠山さんは一日に二度、草原になった、家のあった場所を歩いて回る。 仲間が暮していた土地に、木を植えている。 「ヒューマン」「ヒューマニズム」の語源は、ラテン語の「フムス」で腐葉土の意味だそうだ、誰かにとっての腐葉土になりたい、と。

 震災直後の海は、生き物が全部消えていた。 植物プランクトンがあるかどうかが問題で、1か月後、水質調査を依頼した。 「安心して下さい、カキが食いきれないくらいプランクトンがいます。」 顕微鏡を覗くと、キートセラスが見えて、涙が出た。 川の流域を整えていたことが、こういうことにつながった。 「森は海の恋人」は、真実だった。 海は死んでない、養殖業はやれる、と確信した。 海は戻ってくるよ、海は甦ったんだ。

 その年、平常は2年かかるカキが、半年で成長した。 きっと数億年、同じ営みが繰り返されてきたのだろう。

 畠山重篤さんのカキ養殖は、三人の息子さんが継ぎ、舞根地域の人々が働いている。 畠山家は孫まで含め、17名の大家族となった。

 寛司君は、ひとりで和船を漕げるようになった。 「穴子釣り」も、6年経って再開した。 「はむ」と呼ぶ穴子を、「カッカッカッ」と夜鷹が鳴く夜、釣りに行ければ、一人前として扱われる。 スルメ(?)を奥歯で噛んで、やわらかくして、針につける。 釣った穴子は、カボチャの葉っぱで押さえる、そして針を抜く。 夜がすっかり更けて、よくなってきた。 自然は、何十億年と続いているのだ。