おかの婆さんとグウドルさんの手套2021/11/14 07:25

 そこで「グウドル氏の手套」の後半、井上靖がその翌日に長崎で目にした、もう一つの明治時代の人物を偲ぶよすがともなるような遺物(かたみ)の話である。 坂本町の外人墓地で、E・グウドル氏の墓、1889(明治22)年の物故者で、横文字の名前の下に「具宇土留氏之墓」と彫られているのを見つけた。 グウドル氏、グウドル氏と何回か口の中で繰り返していて、「グウドル氏の手套」のグウドルだと言うことをふと思いついた。

 私(井上靖)は、おかの婆さんと一緒に住んでいた頃、“グウドルさんの手套”と呼ばれていた大きな皮の手套を何回か見たことがあった。 そのグウドルさんが、目の前に眠っている具宇土留氏その人かどうかは勿論判らなかったが、昨日と今日と引き続いて二回も、おかの婆さんを偲ぶよすがとなるようなものにぶつかったことが、ひどく不思議に思われた。

 グウドルさんの手套を初めて眼にしたのは、確か小学校に上がった年の大掃除の時だったと思う。 分家の方から二、三人若い者が手伝いに来て、土蔵の二階から家財道具を庭に並べた中に、新聞紙に包まれた白い皮製の大きな手套が出て来た。 グウドルさんの手套だと、おかの婆さんは言った。 春秋二回の大掃除のたびに、この手套を手にするのが楽しみで、欲しかったのだが、何事にも寛大なおかの婆さんも、この手套だけは自由にさせなかった。

 彼女が亡くなる前年、白内障を患っていて、外出を控えて、窓際などに眼をつむって、おだやかな表情をし、邪気のない笑顔で座っていることがあった。 そうした折に、グウドルさんの手套のことを聞いてみた。 グウドルさんは、わたしとおじいさんが松本順先生に連れられて麹町の本社に行って、受付で名前を書いた時、すぐ背後にいなされた異人さんだった、という。 皇后様もお成りになり、宮様も大臣方もお見えになる大変な日で、異人さんだって何百人もいた。 おまけに雪が降っていて、混雑振りはお話にならなかった。 何かの都合で、おかの婆さんはそこの玄関先で松本先生とおじいさまをお待ちすることになった。 雪の降る日に二時間も三時間も、御馳走を食べないで外で待っているのは、可哀そうだとおっしゃって、一度も会ったこともないグウドルさんが、ポケットから手套を出して、これをはめていなさいと言って私に貸して下さったんだよ。

 「彼女がグウドルさんの手套をあれほど大切にしていたことは、一人の心優しい外人への感謝の気持がこめられていると共に、それは彼女の生涯での、一つの悲しい出来事の記念ではなかったか。それは丁度、松本順への彼女の並々ならぬ没我的尊敬が、彼女のさして幸福だったとは言えそうもない人生行路に、思い出したように時折廻って来た楽しかった小さい幾つかの出来事の記念碑であったように。」