“湘南”の名称発祥の地「鴫立庵」2021/12/05 07:29

 そもそも「鴫立庵」とは、というのをパンフレットから紹介しておく。 平安時代末期の歌人・西行法師が、大磯周辺の海岸を吟遊して、「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」という名高い歌を詠んだ。 江戸時代初期の1664(寛文4)年に小田原の崇雪(そうせつ)が石仏の五智如来像をこの地に運び、草庵を結んだ。 その際、西行のこの歌にちなみ、鴫立沢の標石を建てた。 崇雪は鴫立沢の景色を、中国湖南省の洞庭湖に注ぐ湘江の南方一帯“湘南”の美しい景色と重ねて、鴫立沢の標石に「著盡湘南清絶地」(読み…ああ、しょうなんせいぜつのち、意味…清らかですがすがしく、このうえもない所、湘南とは何と素晴らしい所)と刻んだため、“湘南”の名称発祥の地として伝えられている。  「湘南ボーイ」の本井英先生が、第二十三代の「鴫立庵」庵主に就任されたのは、まさに適任と言わなければなるまい。

 ついでに、今まで大磯について「小人閑居日記」に書いたものを、リストしておく。
快適充実の大磯散歩<小人閑居日記 2005.8.2.>
馬翁、大磯の高麗山に登る<小人閑居日記 2007.5.3.>
高麗山の由来と手打ち蕎麦屋<小人閑居日記 2007.5.4.>
堀文子さんの大磯高麗山とホルトノキ<小人閑居日記 2007.10.9.>
松本良順の洋式病院「早稲田蘭疇医院」<小人閑居日記 2017.7.14.>
「大磯の恩人」松本順<小人閑居日記 2017.7.15.>
大磯の「松本順の頌徳碑」と妙大寺のお墓<小人閑居日記 2017.7.16.>
再建された旧吉田茂邸を見学<小人閑居日記 2017.8.2.>
旧三井別邸地区と「めしや“大磯港”」<小人閑居日記 2017.8.3.>
大磯の恩人〔昔、書いた福沢68〕<小人閑居日記 2019.6.23.>