福沢の「ちんわん之(の)説」 ― 2021/12/19 07:26
飯沢匡さんは、福沢と漫画の関係をまず、明治9年ごろの「ちんわん之(の)説」(明治11年1月発行の『福沢文集』所収)から見ていく。 これにはすでに福沢が現在のポピュラー・グラフィックスに該当するものを重視していることが判り、浮薄な西洋文明心酔者でもないことを同時に示している、という。
飯沢さんは幕末の浮世絵画工、歌川国芳の幕制批判の業績を高く評価し、この諷刺精神が明治維新に与(あずか)って力があったとする。 この国芳が、いわゆる「おもちゃ絵」の鼻祖なのである。 「おもちゃ絵」は、幼児に絵を示し言葉を教えるもので、子供に発音しやすい、子供の身近にある事物が、いくつも並べてある。
「ちんわん之説」はこうだ、「或人問(とう)て云(いわ)く、チンワン猫ニャア、チュウ、金魚に、放し亀、牛モウモウ、と種々様々のを、ひんならべて、一枚の錦絵に摺(す)り、絵草紙屋の見世先きで、子供のおもちやに売るものあり。此絵は少年の教育に用ひて大いに益あるもの歟(か)。」
「学者先生答て云く、以(も)っての外のことなり。此絵を絵と云へば絵なれども、之を排列するに学問上の順序なく、其物の性質に付き註解もなく、実に無法中の最も無法なるものにして、之を教育に用るなぞとは思(おもい)も寄らず、実に有害無益、風上にも置かれぬ品物なりと」
当時の学校が「博物図」と称する外国直輸入式の懸け絵図を教室に掲げていたのを、学者先生が褒めちぎるのを、大いに英語などまぜてからかう落語のような条(くだり)が続く。
「是なる哉、是なる哉。動物の学、西洋にては之を『ゾーロジー』と云ひ、本草の学、これを『ボタニー』と申し、最も緊要なる学問なり。今この『博物図』は即ち『ゾーロジー』と『ボタニー』との大略根元を記したるものなれば啻(ただ)に学校に入用のみならず、銘々の家の内にも懸けて朝夕、子供の目に触れ生涯の大利益たる可(べ)しと」
「チンワンの絵は一枚、五厘、博物の巻物は一揃一円なり。五厘と一円は二百倍の相違なれども、先生の差図なれば黙止(もだ)し難くして一円の金を奮発したれども、此博物図を床の間の辺りに掛けた計(ばか)りにて翌日より少しも効能と覚へず」
「是れに限らず、都(すべ)て学校竝(ならび)に家内に用る地図にても器械にても、之を目に見る計りにて心に考へて理屈を付けざれば猫に小判の無用に異ならず、依ってチンワンの説を作る」と結論する。
福沢は、明治10年になる前に、すでに国際的視野でちゃんと自国の錦絵の中の当時からすでに卑小と見られていた「おもちゃ絵」の効用について着眼しているのである、と飯沢さんは指摘している。
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