「漫言」の「笑い」は文明開化の有力な武器2021/12/22 07:13

   「漫言」の「笑い」は文明開化の有力な武器<小人閑居日記 2013. 3. 30.>

 そこで、遠藤利國さんの講演「<漫言>はなぜ書かれたか」である。 遠藤さんは、「福沢諭吉が時事新報の発刊当初から相次いで掲載した漫言は、<笑い>を目的とするという点で、堅苦しさばかりが目立つ明治前半の言論界では目を剥くほどのタブー破りであった。 しかし、この<笑い>があってはじめて、それまで権威筋の話にはほとんど無関心だった庶民の耳を、多少なりとも国政がらみの問題に向けさせることができるようになったのである。 つまり、福沢にとって<漫言>とは文明開化の有力な武器なのであった。」として、「この<笑い>が暴いた明治という時代の諸相を紹介しながら、福沢の書いた<漫言>の持つ多重的な意義をお話したい」と、講演要旨で述べている。

 遠藤さんは、「漫言」の総数を「寄書」5編も含め311編とする。 初年度の明治15年の100編、これは言ってやろうと思っていて、半分は準備していたのだろう、という。 16年42編、17年30編と、最初の3年間で55%を占める。 あと多いのは20年の24編、23年から10編、25編、24編、19編、27年の12編へと、帝国議会開設と日清戦争に関係するのだろう(以上で累計92%になる)。

 「漫言」の種類。 「漫言」で冷やかされたテーマはじつに多岐にわたっており、それこそ世相全般としかいいようがないほどだが、大別すれば、次のようになる。 政治…漢学復興、言論弾圧、民権論、帝国議会など。 経済…大儲け、通貨政策など。 外交…対中・対韓政策、条約改正、親英米と親独路線など。 軍事…国防、朝鮮半島の紛争、日清戦争など。 世相…官民格差、門閥主義、民衆の迷妄など。

 「漫言」の特徴。 注目すべきは、論説で論じたテーマを、しばしば「漫言」でも取り上げたことである。 それはシンボリックな例を示すことで、辛辣な笑い話の種にしていることが多い。 遠藤さんは、その典型的な例として、比較的初期のものに属する薬剤訴訟を扱った「営業毀損」(明治15.12.7.)を読んだ。 これは時事新報が10月30日の社説「太政官第五十一號布告」で、売薬印紙税に賛成して、「第一、売薬は人の病の為に功能なきものなり。病に功を奏す可き程の薬品なれば、之を誤用して害を為すが故に、政府に於て之を許さず。無功無害、これを服するも可なり、服せざるも亦可なり、水を飲み茶を飲むに等しく、香を嗅ぎ胡椒を噛むも同様のものにして、始めて発売の許可を得るものなれば、名は薬にして實は病に関係なき売物なり。之に税を課して其品物の売買を左右変動するも、人身の病理上に一毫の害を致すことなし。」「第二、売薬は事実に無功なるも、寒村僻邑、医薬に不自由なる土地にては、尚これを服用して情を慰るに足る可し。」「右條々に述べる如く、売薬の課税は人身病理上の事実に一毫の害なく、又世間愚俗の人情を傷るに足らず、又其収税額の減少す可き憂もなし。其減少せざるは国の為に不幸なれども、容易に救ふ可らざるの不幸は姑く之を閣き、不幸の税額を以て国民の幸福に利用せんこと我輩の希望する所なり。」などとしたのを受けたものだった。

 <漫言>「営業毀損」では、その社説を読んだ売薬営業の人々が大いに立腹し、我々の営業を毀損したとして、時事新報の編集長を相手取り、品川治安裁判所に訴え出る、とする。 時事新報がこういう論説を公布すれば、追々売薬も信用を失うことになり、営業不振にもなるという理由である。 もしそういう理窟が天下に流通すれば、時事新報をはじめ、迷惑閉口する者が、世の中に沢山あるだろう。 小学校の先生が、生徒に酒の害を説けば、全国の酒造家、酒問屋、小売店、料理店、居酒屋が訴訟を起こす。 女郎買いの有害無功なるを説けば、女郎屋に訴えられ、芸者狂いの身のためにならぬを説けば、芸者屋に訴えられる。 裁判所や、代言人が、事務御多端になるのは、疑いない。 さてさて、閉口な世の中なるかな、というのである。