永井荷風『断腸亭日乗』の予見 ― 2022/01/16 08:11
そこで、一ノ瀬俊也さん(埼玉大学教養学部教授)が、『断腸亭日乗』の予見を高く評価し、永井荷風はタダ者でないと話して、番組が引用した部分を、岩波文庫『摘録 断腸亭日乗』(下)で探してみた。
「デモクラシイの真の意義を理解する機会に遭遇することなるべし。」
昭和16(1941)年 九月初六(6日)。 「街頭の流言に過般内閣総辞職の事ありしその原因は松岡外相の魯国于役(うえき)の際随行せしものの中に間諜ありしがためなりといふ。」 ○無題録 (末尾の部分)「米国と砲火を交へたとへ桑港(サンフランシスコ)や巴奈馬(パナマ)あたりを占領して見たりとて長き歳月の間には何の得るところもあらざるべし。もし得るところありとせんか。そは日本人の再び米国の文物に接近しその感化に浴する事のみならむ。即デモクラシイの真の意義を理解する機会に遭遇することなるべし。(薩長人の英米主義は真のデモクラシイを了解せしものにあらず。)」
「屠(ほふ)れ!英米われらの敵だ」「進め一億火の玉だ」のポスターを見て、何でも、だ、だ、言いおって。それを言うなら、「むかし、英米我等の師、困る億兆火の車」であろう。
昭和16(1941)年 十二月十二日。 「開戦布告と共に街上電車その他到処に掲示せられし広告文を見るに、屠(ほふ)れ英米我らの敵だ進め一億火の玉だとあり。或人戯(たわむれ)にこれをもじりむかし英米我らの師困る億兆火の車とかきて路傍の共同便処内に貼りしといふ。現代人のつくる広告文には鉄だ力だ国力だ何だかとダの字にて調子を取るくせあり。寔(まこと)にこれ駄句駄字といふべし。」
永井荷風の戦後の感懐については、昨年2月の当日記に、永井荷風の『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』(岩波文庫)所収の随筆「冬日の窓」昭和20年12月10日草、敗戦4カ月後の一文を紹介していた。
事の勝敗はその事に当る人物の如何に因る<小人閑居日記 2021.2.16.>
西行、芭蕉、モーパッサンの寂寞と詩興<小人閑居日記 2021.2.17.>
江戸三百年と、その三分の一、共にアメリカに負ける<小人閑居日記 2021.2.18.>
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