山本五十六の無二の親友・堀悌吉2022/01/19 06:51

 山本五十六と、その無二の親友・堀悌吉については、2014年の8月、[BS1]スペシャル『山本五十六の真実』(前編)「真珠湾への道」(後編)「遺された手紙」を見て、くわしく書いていた。 読み直すと、興味深いことがたくさん書いてあったので、連続して再録することにした。

    山本五十六の無二の親友・堀悌吉<小人閑居日記 2014.8.21.>

 仲間内の情報交流会で山本五十六や海軍の話を聴いてきて、それを後回しにし、13日から米内光政について昔書いたものを紹介した。 その会で、講師がNHKのBSで近く山本五十六の番組があるのを楽しみにしている、と話していた。 11日にその放送があった。 [BS1]スペシャル『山本五十六の真実』(前編)「真珠湾への道」(後編)「遺された手紙」だった。 番組紹介に、「山本五十六の実像を示す資料が公開された。 山本の親友・堀悌吉が保管してきた遺書や書簡。 三国同盟に反対しながらも、真珠湾攻撃を立案していく山本の苦悩が浮かび上がる。【出演】半藤一利【朗読】坂東三津五郎」とある。 三津五郎は山本五十六を描いた映画で、堀悌吉役を演じたという。

 素晴らしい、感動的な番組だった。 堀悌吉は、明治16(1883)年大分県杵築市の生れ、明治34(1901)年山本五十六と同期で海軍兵学校(32期)に入った。 席次は入校時190名中3番、卒業時192名中首席、同期生が「神様の傑作のひとつ堀の頭脳」というほどの秀才だった。 入学時に2番だった山本が翌年5月成績を落として、落胆しているのに言葉をかけて以来、無二の親友となった。 堀も山本も、日露戦争の日本海海戦に少尉候補生として参加、薄氷の勝利を経験、戦争の悲惨を目の当たりにし、山本は負傷して左手の指二本を失った。 堀は自伝に、旗艦スワロフが沈没するのを目撃して「ああ気の毒だ、可哀想だ」と思わぬ者はなかっただろう、と書いた。 だが日本海海戦の勝利によって、「大艦巨砲主義」が日本海軍の根本原則になる。

 その後、堀はフランスに駐在、第一次世界大戦でヨーロッパ各国がかつてない犠牲者を出す総力戦になったのを目の当たりにして、『戦争善悪論』をまとめ「戦争に依らずして他に平和的手段あらば之に依るを可とすべきなり」「戦争なる行為は常に乱 凶 悪なり」と記した。 大正7(1918)年、堀と山本は共に結婚、青山に住んで、家族ぐるみの付き合いをする。 翌年、山本はハーバード大学に語学留学し、アメリカに駐在するが、もっぱら自動車や飛行機などの工場を視察、油田地帯にも行き、テキサスの油田の一つを買収することも考えた。 アメリカが日本の10倍以上の工業生産力を持つこと、自動車、飛行機、石油、特にその航空機開発に着目した。 親友二人はともに海外事情を熟知していたわけである。