失敗の研究、暗号の解読2022/01/24 07:02

    失敗の研究、暗号の解読<小人閑居日記 2014.8.26.>

 山本五十六は真珠湾の後、太平洋の戦いで連続決戦主義をとり、連勝することで講和に持ち込むことを考えていたようだ。 昭和17(1942)年5月7日の珊瑚海海戦は、初の航空母艦同士の海戦となった。 互角の戦いで、日本は小空母を、アメリカは空母1隻を失い、空母ヨークタウンを損傷した。 アメリカはこの戦いを徹底的に分析し、空軍パイロットの大量養成に乗り出すとともに、ニミッツの指示で日本側が撃沈したと思っていたヨークタウンを数日間で修理する。 日本は、この戦いで急降下爆撃機の恐ろしさを経験したが、それを無視した。

 山本は、米空母の撃滅をめざし、ハワイから誘い出すミッドウェー作戦を計画する。 海軍中枢はミッドウェー島攻略やアリューシャン列島の攻撃も企図したため、二正面作戦となった。 しかも米機動部隊は、待ち構えていた。 暗号を解読していたのだ。 日本の索敵機は、東200海里にいた米機動部隊を発見できなかった。 アメリカは日本の空母を発見し、攻撃隊を出撃させた。 真珠湾で徹底を欠いた南雲忠一第一航空艦隊司令官は、この時もそのまま出撃という進言を退け、陸用爆弾を魚雷に付け替えさせていて、急降下爆撃機の来襲を受け大火災を起こす。 4隻の空母が沈没、3,000人が戦死する大敗北となる。 日本はヨークタウンを勘定に入れず、米兵力を過小評価し、空母の配置もダンゴ状態にし、アメリカの3隻を独立に配置し警護した体制に敗れた。 戦局は、ここで大きく転換する。

 日本には、大反省会はなく、失敗の研究がなかった。 文書や記録を残す精神がなかった。 アメリカはガダルカナル島で反攻に出る。

 昭和18(1943)年2月、日本軍はガダルカナル島を撤退。 戦死、行方不明2万人以上、内餓死者1万5千人と推定される。 山本は、保有し動ける駆逐艦全てを投入し、1万人の撤収に成功する。

 4月、ラバウル基地で航空作戦を指揮していた山本は、18日ブーゲンビルを経て、最前線バラレ島へ視察に向かう。 午前6時出発、護衛戦闘機6機という、この暗号も解読されていた。 エドウィン・レイトン情報参謀は、ニミッツに山本殺害を提言する。 番組では、レイトンが日本は急行の「つばめ」のように時間に正確だと、語っていた映像を紹介した。 アメリカは16機の戦闘機で、山本の搭乗機を撃墜する。 山本五十六戦死59歳、6月5日国葬。 山本の死後2か月して、堀悌吉は海軍次官から次官の金庫に保管されていた、「自分にもしものことがあったら、堀中将立会いのもと開封を乞う」と堀に託した「要書類」を受け取った。 「述志」2通と「戦備訓練作戦方針等ノ件 覚」、堀はそれを銀行の金庫に日本が独立するまで秘匿した。

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