マクシモーヴィチ氏の同定、学名、植物名表記2022/02/11 07:01

 牧野富太郎が目指しているのは、帝大の蔵書の中にあるマクシモーヴィチ氏の植物画だった。 氏は、露西亜のサンクトペテルブルク帝立植物園で研究する学者で、東アジアの植物の権威だ。 日本の植物は、ツュンベリイ、シイボルト、そしてマクシモーヴィチら外国人研究者によって学名を与えられている。 植物の素性を明らかにするということは、その名を同定し、分類するということだ。 植物分類学で、同定、分類するには採集した植物を精密な顕微鏡で調べ、かつ世界各地で刊行されている大量の文献を調べ上げねばならない。 どこにも記載がなければ論文を書き、それを学術書なり学術雑誌なりに発表して初めて世界に「新種」として認められる。 ところが文献も標本も、日本では未だ十分に揃わない。 そこで、これぞと思うものは、標本をマクシモーヴィチ氏に送って同定してもらっている。

 富太郎がマ氏に507点の標本を送った。 番号を記したノートを同梱し、自分で同定できるものは学名を記し、不明のものは空欄にしておくと、赤字で回答してくれる。 そんなやりとりを重ねるうちに、丸葉万年草が新種と認められ、学名は「Sedum makinoi Maxim.」セダム・マキノイ・マクシムとされた、牧野の姓が使われ、命名者はマ氏だということを示している。 大変な栄誉、世界の植物学界に自身の名を知らしめるだけでなく、未来永劫、牧野の名がこの植物に刻まれる。

 明治21年9月、根岸の御院殿跡に離屋を借り、スエと水入らずの所帯を始めた。 猶は腹帯だけでなく、京の呉服商から羽二重を何匹も送ってきた。 10月、長女の園が生まれた。

 この11月、ついに天地一尺ほどの大判『日本植物志図篇』第一巻第一集、初めての自身の著作物を世に出すことができた。 表紙には、西洋の書物の趣を添え、書名を英語でも記し、華やかな八重の桜の画を配した。 版下画はすべて自身の手で描き、英文も書いた。 文章の説明だけでなく、全体の姿図、部分図、解剖図も充実させた。 印刷は呉服橋の刷版屋、販売は神保町の敬業社という書肆だが、この出版の費用はすべて自分で出した。 巻頭は、土佐に産する上臈杜鵑(ジョウロウホトトギス)の図、昨年、郷里の横倉山で発見してマクシモーヴィチ氏に標本を送っていたもので、和名すらなかったので、その気品と典雅さから、禁裏に仕える位階の高い女房「上臈」と付けた。  ドイツ留学から帰朝したばかりの松村任三助教授も非常に讃めてくれ、「この書物をぜひとも広めよう。」書評を書く、と約束してくれた。

 明治22年1月の『日本植物志図篇』第一巻第三集には、帝国大学植物学科の大久保三郎助教授(大久保一翁の子)と共同研究した新種の「やまとぐさ」、学名「Theligonum japonicum Okubo et Makino」の英語と日本語の論文を併載した。 『植物学雑誌』にも発表、日本人が日本の学術雑誌に発表した、優先性担保の一歩前進だった。

 この『ボタニカ』、前半では植物の名が漢字で表記され、フリガナがついている。 蓮華草、木蓮、山藤、桔梗、杜鵑、艶蕗、躑躅、海棠、葉蘭、梅花黄蓮、眼子菜(ヒルムシロ)、柳葉菜(アカバナ)など。 それが後半になると、片仮名表記になる。 セツブンソウ、コスミレ、アオイスミレ、ソラマメ、バイカオウレン、センニンソウ、属名クレマティスなど。

 牧野富太郎は、飯沼慾斎翁の『草木図説』を明治8年に田中芳男と小野職愨が解説・翻刻した『新訂草木図説』をさらに生まれ変わらせた。 大正元年正月に刊行したその『増訂草木図説』三輯四輯の「巻末ノ言」に、持論をこう書いた。 日本の植物名は古来用いられてきた漢名が幾種類もあり、仮名も混用している。 科名も同じだ。 現代の学名はラテン語なので、向後、仮名で表記すべきだ。 飯沼翁が「林氏」としているのはリンネ氏、「西勃氏」はシイボルト氏のことだと、注を補足した。

 女房のスエは、教えたので手紙などに壽衛と書くようになった。

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