坂東の武士結集、「いざ、鎌倉」へ2022/03/10 07:10

 『鎌倉殿の13人』、「佐殿」と「武衛」を出すため、ちょっと先を急いだ。 「目代(もくだい)」というのがいた、平安中期、国司は私的な代官を現地に派遣して国務にあたらせた。 当時、武蔵国は平清盛の四男・知盛が国司だったから、武蔵国の武士の多くは、平家の家人として組織されていた。 伊豆の「目代」、平家方の代官で威張っている、北条義時が出くわして、土下座しなかったら、馬から降りて土下座させ、泥水に顔を押し付けられた。 治承4(1180)年8月17日深夜、「佐殿」源頼朝を擁して立ち上がった北条時政・宗時・義時父子が出撃、伊豆の目代・山木兼隆、副目代・堤信遠の首を取る。

 しかし、源頼朝、従者安達盛長(野添義弘)たちは、石橋山の戦いで大庭景親(國村隼)らの軍勢に破れる。 前田青邨の「洞窟の頼朝」の絵を、大倉集古館で見たことがある。 洞窟に隠れている頼朝を、大庭の臣・梶原景時(中村獅童)が見つけたが、なぜか見逃す。 梶原景時は、後に頼朝の臣下、13人の1人となる。 そういえば歌舞伎に「石切梶原」、「梶原平三誉石切」という演目がある。 石橋山で頼朝を破った大庭兄弟と梶原が、紅白の梅が満開の鶴岡八幡宮に参拝、老父と娘が売りに来た刀を目利きの梶原が名刀と評価するが、胴二つの試し斬りにわざと失敗して大庭兄弟を去らせ、刀を売るのは頼朝再起の軍資金調達のためと見抜いた梶原が、自分の本心は源氏方にあることを明かして、神前の手水鉢を一刀両断にする。

 2月6日の第5回が「兄との約束」だった。 坂東の武士を結集して、平家と戦って倒す、北条がそれを先導するのだと、義時に打明けていた兄の宗時(片岡愛之助)が、北条の家に観音像を取りに行って殺される。 政子らは、伊豆山権現に隠れる。 北条時政・義時は、甲斐の武田信義(八嶋智人)のもとへ合力を請いに行くが、ままならない。

 北条義時は頼朝を探すも見つからず、待機していた時政らは船を出して安房へ。 頼朝は土肥実平の案内で、真鶴岬から安房へ渡る。

ここで、ようやく第8回の「いざ、鎌倉」に戻る。 三浦義澄・義村と偶発的に戦った畠山重忠(中川大志)が頼朝の臣下になり、先陣を申し付けられる。 頼朝の弟、僧・全成(ぜんじょう)(新納慎也)が駆けつける。 全成は占いをし、暦をみる。 義朝の七男、母は常盤御前、義経の同母兄。 若き義経(菅田将暉)も弁慶(佳久創)らと平泉を出立、乱暴な御曹司として登場した。