湯島、花浦久兵衛の大邸宅2022/03/20 07:37

 『創世(はじまり)の日』は、三代目の久兵衛とともに、湯島の旧花浦邸が主人公だとも言える。 それは執事・伊地知の日記の中で、回想とともに、描かれている。 江戸幕府の大名屋敷が明治維新で天下を取った薩摩武士の手に渡り、その武士が西南戦争で戦死し、荒れ果てていた約一万五千坪を創業者の弥兵衛が久兵衛の新居にするつもりで購入した。 久兵衛が、イギリス人の有名な建築家に依頼した洋館と、和館がある。 洋館の馬車回しにはサークル状の芝生があり、何本かのヤシの木が植えられている。 その傍にある大銀杏が邪魔になる可能性が出てきて、建築家がどうするか久兵衛に聞くと、迷うことなく残して欲しい、ご神木にするからと言った。

 洋館は木造二階建てで、玄関を入り、廊下を行くとホールになる。 その隣には、大食堂、客室、婦人用の客室、サンルームなどがある。 階段を上がると、二階にもホールがあり、客室、婦人用客室などがある。 階段の欄干や、柱にはエキゾチックな彫刻が施され、壁はすべて金唐革紙(きんからかわかみ)という西洋と日本の技術が融合した壁紙で、金箔がまるで彫刻されたように浮き出ている。 洋館から地下通路を通って行く撞球場があった。 味のある木造平屋、巧みな木組みの校倉造り、山小屋風の建物だ。

 洋館と和館は、違和感がないように巧みにつながっている。 和館は十四棟もあり、当代随一と言われる名人棟梁が手掛けたものだ。 あからさまでない贅沢が施されていて、庭を望む十数メートルの長い廊下の天井は、幅一メートル以上もある一枚板だ。 仏壇のある大広間では毎年、花浦家の親族が創業者の弥兵衛や先祖の霊を祀る集まりがある。 その他、食堂、居間や寝室、書斎、子供達の部屋、風呂、使用人用の部屋や食堂、男女別の風呂などがある。 使用人は、男女あわせて五十人はいただろう。 お屋敷周りを担う女性が多く、男性は運転手、庭師、料理人などだった。

 屋敷の庭は和洋折衷で、和館と調和した日本庭園があり、石灯籠や石庭、石橋があり、洋館の前にはガーデンパーティーのできる広大な芝生が広がっている。 庭の木には、木斛(もっこく)が多く、ヒマラヤ杉や、久兵衛がアメリカで気に入って植えた泰山木の大木がある。

 伊地知海弥は明治元年生まれで、久兵衛と三つ違い、縁があって18歳で弥兵衛に雇われ、お前は息子久兵衛の盾になれと命じられた。 明治29年、29歳の時、この湯島のお屋敷が完成すると同時に、正式に執事になった。 あれからほぼ半世紀、久兵衛に仕えている。 敗戦後の今は、女中頭だった登与と二人で、久兵衛と綾乃の世話をしている。

 伊地知は長年、毎朝、玄関ホールの上にある三階の塔に登って、ステンドグラスの窓を開ける。 朝の爽やかな空気が、たちまち建物の中に流れ込んで来た。 大銀杏の向こうに眺められる、不忍池の方向から朝日が昇り始める。