二年越し「ド・ロさま」の正体判明2022/03/28 07:10

 二年前の2020年3月26日、この日記に藤永貴之さんの第一句集『椎拾ふ』(ふらんす堂)を読ませてもらった感想を書いた。 最後に、「私が知らなかった言葉、読めなかった字。」を23も挙げた。 その中に、「ド・ロさま」があった。 句は、  <ド・ロさまをみな知つてをりクリスマス> というものだった。 みんな知っているというのに、私は知らなかった。

 しばらく前、NHKの『ファミリーヒストリー』に歌手の前川清が登場した。 「長崎は今日も雨だった」がヒットしたから、長崎出身だろうとは思っていたが、出身地は陸の孤島のような長崎県西彼杵郡外海(そとめ)地区、遠藤周作の『沈黙』の舞台(今は遠藤周作文学館があるそうだ)、江戸時代は命懸けの潜伏キリシタンの地で、高祖母ツヤの代から、家族はカトリック、前川清自身もセバスチャンという洗礼名を持つ。 その外海地区に出津(しつ)教会を建て布教したのが、ド・ロ神父だったのだ。

 ド・ロ神父、マルコ・マリー・ド・ロ神父は、天保11(1840)年フランスの由緒ある貴族の次男に生まれ、神学校卒業後、東洋布教のためパリ外国人宣教会に入会、まだキリシタン弾圧の続いていた明治元(1868)年、死も覚悟して来日し、長崎や横浜で活動した。 明治12(1879)年外海の出津・黒崎地区に赴任してからは、田畑にもめぐまれない陸の孤島のような地区の人々の貧しい暮らしをみて、「魂の救済だけでなく、その魂が宿る人間の肉体、生活の改善が必要」と痛感、布教活動とともに、フランスで学んだ建築・医学・産業など幅広い分野の知識を活かし、まず出津に教会堂を建て、教会を中心とした村づくりを始め、明治16(1883)年に救助院を創設、多彩な事業を授産することによって、外海の人々に「自立して生きる力」を与えた。

 一度も母国に帰ることなく、大正3(1914)年享年74歳で逝去し、自らがつくった野道の墓(現出津共同墓地)に眠っている。