福沢諭吉と小幡篤次郎2022/04/04 06:57

 清家篤さんが小幡篤次郎の魅力を、西澤直子さんに質問した。 福沢と小幡は、一心同体のように評価される。 福沢と小幡は、共に学び、お互いに刺激し合う同志。 福沢の慶應義塾運営に協力する中心人物で、教育を任されていた。 入門者の応接にも当たり、ウェーランドの修身論は福沢より先に読んだ。 明治10年代の財政難からの廃塾の危機には、小幡は何としても義塾を残そうと、多事争論の場をつくって、存続発展を支えた。 小幡に対する当時の新聞などの評価はとても高く、福沢とは切っても切れない、表裏一体の関係ととらえており、(漢学による)文章や学識では小幡の方が優れているとするものまであった。

明治20(1887)年に、福沢は慶應義塾に総長を置くことを考え、大蔵省にいた小泉信吉を総長にと考えた。 福沢と小幡の二人は引退して、大店の隠居のようなものになるというのだ。 小幡は自分が福沢を継ぐものと思っており、中上川彦次郎なども、福沢にそう進言した。

 小幡は福沢の7歳下、一つ違う世代で、福沢が西洋の近代をすんなり受け入れたのにくらべ、悩みながら近代に向き合った世代だ。 小幡は、近代を実践するのに、現実を見る。 女性論でも、福沢は西洋の価値観をそのまま取り入れようと紹介したが、小幡はそれを実践しなければならない世代で、現実にどう当てはめるか悩んだ。 西澤さんは、日本の近代は成功ではないと考えていて、福沢の道がどこでずれて行ったかを考えるのが、日本の近代をみる重要な鍵だとする。(この問題は大切なので、あとで詳しくみてみたい。)

 福沢は、心に訴える文章が上手い。 小幡の文章は、知識を正確に伝えるために、一字一句正しくしようと考えるので、面白くない。

 清家さんは、福沢は天才、知の巨人で、小幡は秀才だ、と。 建学の理念として福沢の思想があるので、慶應義塾は有難い。 時事新報など福沢は忙しい、教育の維持運営には教育者、実務家が必要。 福沢なくして慶應なし、福沢だけでも慶應なし、小幡は福沢の輝きの陰に隠れて、その役回りに尽くした人。 功を誇らないのが、慶應のよいところ。

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