『歴史探偵』源義経「鵯越の逆落し」の真実2022/05/08 07:07

 4月27日放送の『歴史探偵』は「ヒーロー源義経」だった。 この番組の探偵は『鎌倉殿の13人』で比企能員役の佐藤二朗、ゲストも頼朝の弟・源範頼役の迫田孝也だった。 まず、義経が福原の平家を攻める一ノ谷の戦いだが、義経の奇策「鵯越の逆落し」が名高い。 ところが、鵯越は一ノ谷の8キロ東の峠道だという。 福原を挟み打ちにして、一ノ谷側から義経が、生田の森側から源範頼が攻めた。 しかし、生田の森側には、平家が深い堀、逆茂木、垣楯で防戦して、なかなか進めない。 『玉葉』という貴族の日記によると、鵯越から下りたのは義経でなく多田行綱だったという。 30度~40度という急坂を、当時の背丈140センチの脚の太い在来馬でゆっくり下りる実験をやっていたが、下りることは可能だった。 番組の描く義経は軍略の天才で、勝つことにこだわりがあった。 身長は151センチと小柄で、前歯が二本出ていたそうだ。

平家を滅ぼした義経は朝廷の信頼を得、強い影響力を持ったため、頼朝は警戒の念を抱く。 ピラミッド構造の鎌倉幕府、権力の分断は好ましくなく、亀裂を生じる。 義経は鎌倉に入れてもらえず、許しを懇願する「腰越状」が満福寺に残る。 頼朝は、義経の所領24ヶ所を没収、討伐の兵を出す。 義経もやむなく挙兵。 平泉へ逃げ、文治5(1189)年奥州合戦で自害、31歳。 悲劇のヒーローを慕う人は多く、いろいろな伝説も残っている。

頼朝に従順に対応していた範頼も、最後は失脚したという。