脚本家・三谷幸喜のドラマづくり2022/05/09 07:08

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、5月1日の第17回「助命と宿命」は、クレジットの出る前に、源義経「鵯越の逆落し」の真実の話になる。 一ノ谷の戦い に大勝利をおさめた義経(菅田将暉)に梶原景時(中村獅童)が、義経の下りたのは鵯越ではなかったというと、義経は「歴史はそうやってつくられるんだ、それが歴史だ」と言う。

 後白河法皇は、義経を検非違使に任じる。 浮かれる義経は、白拍子・静御前(石橋静河(父は石橋凌、母は原田美枝子))の踊りに一目惚れ。

 三谷幸喜の脚本は、石橋山で大敗して千葉に逃げた頼朝を助け、御家人たちを束ねる役をしていた上総介広常(佐藤浩市)を4月17日の第15回「足固めの儀式」で、抹殺してしまった。 以来、恐怖政治で権力を掌握していく頼朝を強調するあたりは、背景にプーチンの姿を連想させ、響かせているように思えなくもない。 放送3日前の4月14日の木曜日、三谷幸喜さんは朝日新聞夕刊に連載している『三谷幸喜のありふれた生活』で、ネタばらしをしていた。題して「『佐藤広常』ここにあり」。 第15回「足固めの儀式」の内容は、年表風に記せば、「寿永二年閏十月、源義経、木曾義仲討伐のため、近江に到着」「同十二月。上総介広常、誅殺される」と資料に残っているだけなので、あとはほぼ創作だという。 背景となる御家人たちの反乱計画は、三谷幸喜さんのオリジナル。 作戦の内容、未遂となる経緯も、全て自分で考えたという。

 4月21日の『三谷幸喜のありふれた生活』の、見出しは「広常と泰時、不思議な関係」。 その壮絶な最期に大きなショックを受けた人も多かった、上総介広常が、当初の予定よりも遥かに愛らしいキャラに成長したのは、ほとんどが演じた佐藤浩市さんの力だという。 クランクイン前に佐藤さんから、ただの荒々しい男にはしたくないと要望があった。 そこで三谷さんは、上総介が密かに読み書きの練習をしている設定にした。 戦に明け暮れていて、満足に字が書けず、京に上った時のために、こっそりと習字の稽古をしている。 この設定が加わったことで、ドラマの登場人物としてはより厚みが増したと思う、と書いている。

 不思議なことがあった、という。 上総介広常が死んだのは、寿永二年の十二月二十日。 一方、北条義時の息子泰時(金剛と名付けられた)が生まれたのも同じ寿永二年。 何月かまでは分かっていないが、三谷さんは、上総介が殺された直後に誕生のシーンを入れることにした。 十二月二十日から年末までに生まれたなら、史実とぎりぎり合致する。

 そこから脚本家・三谷幸喜の妄想が始まる。 だとしたら泰時は上総介の生まれ変わりかもしれない。 泰時はやがて、父義時の跡を継ぎ、第三代執権として鎌倉幕府をまとめ上げる。 その泰時に、上総介の魂が宿っているというのは、なかなか面白いではないか。 あからさまではなく、におわす程度の設定で。

 3月9日の当日記「『鎌倉殿の13人』平相国、木簡、佐殿、武衛」に書いたように、上総介は頼朝を武衛(ぶえい)と呼んでいた。 それで第15回のラストシーンで、生まれたばかりの泰時が、「ブエイ、ブエイ」と泣いた。 聞きようによってはそうも聞こえる、絶妙な赤ちゃんの泣き声を、優秀な音響効果スタッフが見つけてきてくれたという。

 後に泰時は有名な「御成敗式目」を制定する。 武士はいかに生きるべきかを示した、武士による武士のための法律。 泰時は、武士たちの中には読み書きが苦手な者が多いので、「御成敗式目」は出来るだけ平易な文章にしたと、書き残しているそうだ。 三谷さんがそれを知ったのは、第15回のホンを書き終えた後だった。 上総介と泰時の、「なんという偶然。僕らは知らず知らずに、誰かに突き動かされてドラマをつくっているのかもしれない。」とある。

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