色川大吉さん、北村透谷研究から「五日市憲法草案」を発掘2022/05/17 07:05

 北村透谷で思い出したのだが、2014年に前年の10月に皇后さま(現、上皇后さま)が誕生日会見で「五日市憲法草案」に言及されたことに関連して、下記を書いていた。

皇后さまと「五日市憲法草案」<小人閑居日記 2014.6.3.>
明治14年、日本の曲り角<小人閑居日記 2014.6.4.>
なぜ多摩の五日市で憲法草案ができたか<小人閑居日記 2014.7.12.>
五日市青年グループの学習法<小人閑居日記 2014.7.13.>
「民権意識の世界文化遺産」<小人閑居日記 2014.7.14.>
起草者、千葉卓三郎を追って<小人閑居日記 2014.7.15.>
「五日市憲法草案」、どんなものか<小人閑居日記 2014.7.16.>

 その中で、「なぜ多摩の五日市で憲法草案ができたか」に書いていた、北村透谷に関する部分を下記に引いておく。 「五日市憲法草案」は、昭和43(1968)年五日市(現、あきる野市)の深沢家の土蔵で、色川大吉東京経済大学教授らによって発見された。 色川大吉さんは、北村透谷の研究から三多摩地方の研究に入り、この地方の自由民権運動を深く探究することになったのだった。

 色川大吉さんは、明治の文学者で思想家の北村透谷(1868~1894)を研究していた。 北村透谷は十代後半、八王子を中心に、川口、鶴川から小田原にかけてのあたりを放浪して、その思想形成期にいろいろな体験をしている。 その体験をよく理解しないと、北村透谷の本当の意味がわからないらしいというところから、三多摩地方の研究に入ったという。

 調査を進めるうちに、透谷とは無関係の人で、しかも非常に興味のある人間が、沢山いるということがわかってきた。 その10年ぐらいで、名簿の上で300人ほどが、浮かんできた。 武士ではなく、一般の農民、商人、当時の言葉で豪農、豪商といわれる、やや生活に余裕のある人々だ。 ただ仕事ばかりしているのでなく、その余暇に色々学問したり、青年に教えたり、あるいは遊芸の道を修めるというような趣味人、文人であった。 そうすると、たとえば南多摩郡だけでも、日本全体に紹介しても非常に面白い、ある意味で時代の特徴をよく示していると思われる人物の名前が十数人上がってきた。 たとえば北の方では、武蔵五日市の周辺に五日市グループとでもいうような青年グループがあった。 いわば本当の意味での明治人、幕末に生れ、明治の時代に教養を身につけた、そして日本の近代国家が出来上がる頃に、自分も一人前になるというような青年のグループが、五日市にまず発見されたのだ。

慶應野球と福沢諭吉<等々力短信 第1155号 2022(令和4).5.25.>2022/05/17 08:09

 5月11日、ひさしぶりに福澤諭吉協会の一日史蹟見学会があった。 時節柄一日ではなく半日で、「慶應義塾展示館を見る」。 まず演説館で、展示館の開設を準備し、副館長を務める都倉武之さんの話を聴いた。 福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館は、赤レンガの旧図書館の二階にあり、無料で一般公開されている(月~土 10時~18時)。

 約150点の資料を展示する常設展示室(私の頃の大閲覧室)では、慶應義塾史=「近代日本の格闘そのもの」というコンセプトで、展示した。 福沢を語ることは、近代日本を語るということだ。 福沢の成功物語、完成した偉人伝として描くのではない。 格闘者、挫折者としての福沢、文字だけでなく、行動と激励の人だった福沢の不成功物語として描こうとした。 福沢の主張は結局かなりの部分、未完成で、まだまだほとんど実現していない。 現在進行形だから価値があり、その歴史が示す多くの未解決の課題を提示し、なぜ受け入れられなかったのか、なぜ実現しないかを来場者に考えてもらいたい。 福沢、慶應が本来秘めている激しい反骨精神を内外に意識づけたい、と言う。

 展示の構成は、「颯々の章」福沢諭吉の出発、「智勇の章」文明の創造と学問の力、「独立自尊の章」私立の矜持と苦悩、「人間交際の章」男女・家族・義塾・社会。

 企画展示室の特別展は、開館当初「慶応四年五月十五日」彰義隊の戦争時もウェーランド経済書の講義が行われた学問の伝統についてで、6月6日からは「慶應野球と近代日本」が始まる(8月13日まで)。 2022年は、日本人への野球伝来150年にあたる。 木村毅によると、福沢がアメリカから持ち帰った本Wilson First Reader(1860年出版)に野球の絵があった。 福沢の時事新報論説「体育の目的を忘るゝ勿れ」(体育会創立の翌年、明治26年3月22日)は、健康な身体が学問をやる基礎で、独立の人を支える一要素だと説く。 慶應義塾は日本野球史に欠かせない数々の足跡を刻み、野球部は「エンジョイ・ベースボール」をモットーに、野球界に広く普及した早稲田式の「一球入魂」「野球道」とは、異なるスポーツ観を提示してきた。

 2期18年にわたって野球部の監督を務め8回のリーグ優勝をした、前田祐吉さんの昭和62年のノートが常設展に展示されている。 「坊主頭は決して高校生らしくない」「グラウンドへのお辞儀は虚礼」「なぜ大声を出し続けるのか」「野球だけでは人間はできない」 このノートに、福沢諭吉が随所に出てくる。 福沢精神の本質は、時流におもねることなく、広い見識にもとづく自己の信念を貫く勇気と反骨である。 福沢を理解し、それを自分のフィールドで活かそうとした前田監督のような人々の連なりが、慶應義塾を始め、いろいろな所で生まれ続けているのが福沢の傑出したところだと、都倉さんは言う。


最近、ブログに下記を出しましたので、覗いてみて下さい。今日、 5月17日12時から1勝1敗になった慶明の三回戦があります。勝 てば、三連覇に近づきます。

春の東京六大学野球、慶應のこれまで<小人閑居日記 2022.5.13.> http://kbaba.asablo.jp/blog/2022/05/13/9490081

慶應野球部出身のプロ選手活躍<小人閑居日記 2022.5.14.> baba.asablo.jp/blog/2022/05/14/9490447