色川大吉さんの二冊の本2022/05/18 06:52

 色川大吉さんは、昨年9月7日、96歳で老衰のために亡くなった。 歴史学者の成田龍一さん(日本女子大名誉教授)が「色川大吉さんを悼む」を、9月20日の朝日新聞朝刊に寄稿している。 私が知らなかった石阪昌孝の息子公歴(まさつぐ)のことが出てきた(石坂公歴とあるが、事典によっては昌孝にも「石坂」の表記がある)。 色川さんの「主著『明治精神史』(1964年)では、東京・多摩の民権家の体験を追い、「自由民権の地下水を汲むもの」という認識が示され、華麗な文体とあいまって鮮烈な歴史の光景が提供される。「思想」として整序される以前の「精神」に着目し、自由民権運動を描き出しており、歴史書としては稀有の著作であった。なによりも、「人民」などと抽象的に語られていた人びとが、石坂公歴、平野友輔と固有名詞をもち、悩み、ためらいながら歴史の現場に登場する姿が印象的であった。」と。

 「さらに色川さんは、民衆憲法草案(五日市憲法)を発掘し、人びとの営為の結晶として、紹介してもいく。民衆史という領域が切りひらかれ、歴史が具体的な人びとによる、生活に根ざした地域での活動――主体的な営みとして書き直されたのである。」

 色川さんの歴史学の背後には、学徒出陣をした戦争体験と、敗戦後の社会運動への参画がある。 1925年生まれの色川さんは、戦争に翻弄され、さらに社会運動で挫折した「原体験」をテコに、主体的に歴史に向き合い、現在を照らし出す営みを自らの歴史学の課題にしていったという。

 「自分史の試み」という副題の『ある昭和史』(1975年)は、「自分の肉体に刻まれた歴史の痛覚」を手がかりに、「ふだん記」運動を展開した橋本義夫や、昭和天皇の伝記とを重ね合わせ、国民的経験としての「昭和史」を構成した。 戦中と戦後、敗戦と安保を包括する「昭和史」との格闘が、民衆史家・色川大吉の、いまひとつの営みとなった。 これは色川さんが、天皇制との対峙を生涯の研究課題とすることでもあったのだそうだ。

 そう聞くと、皇后さま(現、上皇后さま)が2013年の誕生日会見で「五日市憲法草案」について下記のように言及されたことの、深い認識と強い勇気にあらためて驚かされるのである。 「かつてあきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由」の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」

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