曽我兄弟の仇討ち、実は頼朝暗殺未遂事件2022/06/23 07:00

 『鎌倉殿の13人』、6月12日の第23回は「狩りと獲物」。  梶原景時が、曽我兄弟の仇討ちと共に謀叛御家人の頼朝暗殺の動きがあり、その裏に時政がいると、義時に伝える。 義時は、異母弟・五郎北条時連(瀬戸康史)に席を外させ、時政にそれを伝える。

 富士の巻狩りは、頼朝の嫡男万寿(金子大地)の披露目で、義時の愛息・金剛(坂口健太郎)も参加。 万寿は、狩りがうまくいかず、金剛はうまい。 前に頼朝が色気を見せたので、政子が義時の後妻にと話し、この巻狩りで義時に付いてきた比企尼の孫、比奈(堀田真由)の所に、頼朝が忍ぼうとするのが、事件の発端として描かれる。 その後、比奈は義時に、義時の側にいて、見守っているだけでいい、と言う。

 曾我十郎・五郎は、父の仇工藤祐経を討ち、五郎は頼朝を狙って走り、見張りの畠山重忠と戦う。 五郎は頼朝の影武者を殺して、捕らえられる。 頼朝は五郎を尋問、父の仇工藤祐経を討ったことを褒めた上で、大事な巻狩りで騒ぎを起こしたとして斬殺にする。 五郎は、頼朝を狙ったのだと叫ぶ。 頼朝暗殺の一報に、鎌倉では蒲殿源範頼が鎌倉殿の座につこうとする。 大江広元は慎重にと、中原親能は積極的。 源範頼、遠江国蒲御厨(現、浜松市)に生れ育ったので、蒲冠者(かばのかじゃ)、蒲殿と呼ばれる。 ついでに、大姫の許婚で消された、木曾の義仲の長男源義高が、冠者殿(かじゃどの)と呼ばれるのは、清水冠者(志水冠者)と号した(『吾妻鏡』)からだそうだ。

 頼朝、義時に、時政は曾我五郎の烏帽子親だったな、このたびのことに北条が関わっていないと信じてよいか、と確認する。 よかろう、二度とわしのそばを離れるな、それはわしのためでもあるが、お前のためでもある。 義時は、かしこまりました、と。

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