Pruyn駐日米公使とSeward国務長官の氏名表記2022/06/28 06:58

 小室正紀さんの「『時事新報』経済論を読む」講座、一旦お休みして、『福沢手帖』第193号が届いて、巻頭に大島正太郎さんの「慶応三年遣米使節団の交渉相手Pruyn公使とSeward国務長官の氏名表記について」という論文が出たので、それに触れておく。

 ハリスの後の駐日公使Pruynが、一般に「プリュイン」とか「プリューイン」とか表記されるけれど、『福翁自伝』「再度米国行」で福沢が書いているように「プライン」が正しい。 慶応三年遣米使節団がアメリカで会った国務長官Sewardは、「シューワード」、「スーワード」等と表記され、福沢も「シーワルト」と表記しているけれど、「スワード」が正しいと、大島正太郎さんはいうのである。

 2021年12月4日、福澤諭吉協会の土曜セミナーで、大島正太郎さんの「日米関係事始め~1850年代、60年代の両国関係~」という話を聴き、衝撃を受けた。 大島さんは、元外交官で日本国際問題研究所客員研究員。 私は、日本開国に向けた外交を主導しペリーを日本に派遣した大統領、フィルモアの名前を知らなかった。 また小野友五郎がアメリカと三隻の軍艦購入交渉をし、ハリスの後の駐日公使プラインに80万ドルを渡してあったのに、一隻しか来ていなかったことについての交渉が、使節団の遣米目的だったのだ。

 それで、この日記に下記を書いていた。 そこでは、大島さんのお話通りに、「プライン」公使、「スワード」国務長官と書いていたので、安心した。

ペリーを日本に派遣した大統領<小人閑居日記 2021.12.9.>
慶応3(1867)年、軍艦受取委員の実相<小人閑居日記 2021.12.10.>
南北対立、フィルモアの「1850年の妥協」で安定、日本開国を追及へ<小人閑居日記 2021.12.11.>
日本開国、フィルモア大統領とペリー<小人閑居日記 2021.12.12.>
日米ともに、近代化の「生みの苦しみ」<小人閑居日記 2021.12.13.>

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