寄って来た石たち、美は時間に耐えて残る2022/07/20 06:52

 杉本博司さんが12,000坪の「江之浦測候所」に、全国各地から集めた有名無名の石を、具体的に見てみよう。 井戸枠は、古信楽の井戸枠。 蹲(つくばい)に使われていたのは、東大寺七重塔の礎石。 元興寺の礎石や、渡月橋の礎石もある。 天理市にあって今は池だけが残る内山永久寺の十三重塔、石屋の廃材置き場にばらばらになっていたのを、杉本さんが梵字のある礎石を見つけて、周囲を探して組み合わせてみたら、十三重塔になった。 比叡山の麓、日吉大社の礎石には、織田信長の焼き打ちの痕跡が残っている。 被爆宝塔は、室町時代の宝塔で、広島原爆の爆心地近くにあって塔身だけが残った。 演能が出来るように、能舞台の大きさにつくられた石舞台の、橋掛かりは巨石、24トンだったそうだ。 古代ギリシャ、ローマの円形劇場を模した、階段状の石の円形劇場もある。 浮橋など造園に使った近隣の根府川石は、江戸時代には京都まで運ばれ寺院で使われたという。

 杉本博司さんは、五千年後にいかに美しく残るかを考えている、竣工日は五千年後だ、と言う。 本当に美しいものは、時間に耐えて残る。 杉本さんが、三十代の頃から身近において大事にしてきた平安時代の木彫の女神の像。 すべてのものがそうなる、朽ちたり、腐ったりして、土に還る力に耐えて、生き残ってきた。 古美術商もやり、古い美術品の実物を撫でさすりながら、暮らしてきた。 古代人の精神が、自分のアーティスティックな発想の原点にある、そこに磁場のようなものが出来た、と言う。 自分が引き寄せられるのか、ものが引き寄せられて来る。

 蜜柑山だった「江之浦測候所」の森の中に、かつて蜜柑農家が作業道具を収納していた小屋がある。 「化石窟」と名付けられ、ニューヨークのお店の「古美術 杉本」という看板がかかっている。 中には、蜜柑農家の昭和の作業道具がきれいに配置されており、一方には数億年前の化石(ウミユリ、三葉虫など)、さらにはギベオン隕石(1838年にナミビアに落ち、その鉛の含有率から太陽系の誕生が46億年前と推定された)まである。 ガラス窓の外には、巨大な楠木の根元の洞に縄文時代の石棒(男根崇拝)がご本尊として置かれている。 太陽系の誕生から昭和の農具まで、人間の全生命史、物質史だと、杉本さんは言う。

 「江之浦測候所」の門は、明月門といったか、根津美術館の旧門だったという。 入口の待合棟には、屋久杉の大きなテーブルがあり、「青天を衝け」の看板が架けられていた、私は知らなかったのだが、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の題字を杉本博司さんが書いていた。 茶室は、千利休の待庵の寸法でつくられているが、掛物が「日々是口実」だったのは、杉本博司さんの遊び心だそうだ。

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