草でも虫でも、もっとずっと深みのあるものなんだ ― 2022/07/23 06:54
昨日、冒頭部分を書いた北杜夫の「谿間にて」は、入れ子構造になっている。 主人公の〝私〟は、上高地に入る谿間(たにま)の道で、小型のスコップで何かを掘り起こしている初老の男に出会う。 蟻の巣を掘り起こしているというのだが、昆虫採集をしていた〝私〟は、それがゴマシジミの幼虫だろうということを知っていた。 山地に産するこの瑠璃色をした可憐な蝶の幼虫は、四齢になると食草から離れ、クシケアリという蟻の巣にはいりこみ、蟻の幼虫を食べて大きくなるといわれている。
〝私〟が昆虫採集をしていたことを知ると、男はむかし蝶の採集人で、標本屋とか博物館にやとわれて、朝鮮や琉球にも行ったし、台湾には何度も行ったと話し出し、「あんた、フトオアゲハという蝶を知っているかね」と言う。 無言でうなずくと、フトオアゲハの標本が一体世界に何匹あるか知っているか、俺はな、学生さん、そのフトオアゲハとちょいと関係があった訳さ、ちょいとどころじゃない、あいつのためにはどえらい苦労をさせられてな、俺はそれから人間が変わっちまった。 それをぜひ聞いてもらいたい、と語り出す。
高等農林を出た男は、或る標本屋に頼まれて、蝶を採る商売に入ってしまった。 百姓よりも少しは学問的な職業だからだ。 かれこれ十年以上前の夏、台湾にいて、嘉義から埔里社を通って卓社大山って山に登った。 ある朝、黒いアゲハが一匹、山腹に沿って飛んでくる。 草っ原の斜面を夢中で追いかけたが、最後のところで追いつけなかった。 ハッキリ見たんだよ、そいつの尾は莫迦に広かった。 フトオアゲハという蝶は昭和7年ごろ台北州烏帽子河原ではじめて発見された珍種中の珍種で、今までに採集された数はわずか6匹だけだ。 雇われている標本屋などでなく、誰か個人の蒐集家のところへ持ち込めば、値段はふっかけ放題だと思った。
一匹の蝶の行動範囲は案外ある程度定まっていることが多い。 長いこと、実に長いこと彼は待った。 腹下しをしている上に、雷雨にあってびしょ濡れになって、狩猟小屋にやっとたどり着いた。 寒い、寒い、やがて熱も出始めた。 しばらく眠ったらしい。 捕虫網の柄にすがり節々に最後の力をこめて立ち上がった。
ガレ場を降りたところの、灌木の上にあいつがいた。 網の中でばさばさする奴の息の根をすぐとめてやった。 手が震えて、鱗粉でもはがそうものなら大変だからそのまま三角罐にしまったよ。 俺の帰りがあんまり遅いので、卓社の警官が蕃人を三人連れて探しに来てくれた。 薬を貰って、その日はみんなで狩猟小屋に泊まった。
翌朝起きたときはもう笑い出したくなるような気分だった。 さてもう一度獲物を見てやろうと思ってな、三角罐を取り出した。 するとふたが開いていて、ゴキブリの野郎がとびだしてきた。 三角紙は穴があいていて、胴体を綺麗に喰われていた。 根元を喰いやぶられて傷んだ四枚の翅だけが残っていた。 カッとなって、それを投げ捨てると滅茶滅茶に踏みつぶしてしまった。 翅の切片でも持ち帰っていれば、だれだって俺の話を疑うなんてことはなかったんだ。 学生さん、あんたも、俺の話を信じられないかね?
蝶を採集して売るなんざあ下劣な商売だよ。 本当は草でも虫でも、そりゃああんた、もっとずっと深みのあるものなんだ。 俺はな、兵隊にとられてさんざ苦労してさ、戦争が終ってみりゃあ家もなにも焼けちまってる。 今じゃ諏訪の女房のとこに居候さ。 だが、百姓なんぞやるのは嫌なこった。 俺にはちゃんとすることがあるんでな。 俺は学界に貢献するような仕事をするんだ。 俺の名は日本の昆虫史に残るからな。
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