母に色々教わり、祖母の印象も取り入れた「静謐」2022/07/29 07:02

 中公文庫『北杜夫自選短篇集 静謐』のタイトルとなっている「静謐」は、この本の最後に掲載されている。 「久文とよ刀自ほど、もの静かな、音のない、閉ざされた生活に沈んでいる人は少い。八十五歳という年齢がそうさせるのであろうか。」と、始まる。 「老耄はべつに彼女の頭脳を犯してはいない様子で、その声には未だはりがあり」「立居ふるまいに難があるのではなかった。」

 刀自の住む三間のある、大正のはじめの日本家屋は、渡り廊下で戦後建てられた母屋の洋館の裏手につづいている。 彼女の夫、久文商会の創立者、久文安光は十七年前にこの世を去った。 豪放な性格で、数々の逸話があり、とよ刀自は遥かなむかし、夫の女癖には悩まされ通してきた。 そして彼女は眉も動かさずにそれに堪えてきた、と事情を知る人々の間では語り草になっているくらいだ。 現に彼女は戸籍上五人の子を持つが、そのうちの二人は彼女の腹をいためた子ではない。 そうした事柄は、その当座もべつだん久文家に波瀾をもたらしはしなかったし、時が流れた現在では、夢のように淡く霞んだものとなっている。

 長男の信也が母屋に住み、五人の子持ちだが、その末っ子も大学生になっている。 三男の徳也が、庭の片隅の別宅に住み、遅くできた四歳の女の子が一人、幼稚園に通っている。

 刀自の身の回りの世話は、ある特定の小間使にさせているが、一年ほどまえから、みよという若い小間使がお気に入りとなった。 食事はもちろん居間で一人でされる。 かつて外国で短からぬ生活をした刀自ではあるが、ちかごろは洋食は一切とらない。 夜には、このわた、このこなどで白鷹を一本召しあがる。 越前がに、鯛頭の山椒焼などを好まれるが、かなり屡々、志保原、八百善から料理をとりよせる。 辻留のお弁当もお好きである。 千もとからのふぐ、大市からのすっぽんのお椀などを賞味されることもある。 菓子類は開進堂の西洋菓子と鶴屋八幡の生菓子にほとんど限られる。 日に三度、一保堂、あるいは柳桜軒の濃茶をお薄にたてて召上る。

 ここを読んで、私には、知っているものと、知らないものがあった。 「このわた」は、酒を飲まない癖に、子供の頃から好物だった。 「このこ」は知らなかった。 海鼠子と書き、ナマコの卵巣を乾燥したもので、あぶるとさらに香ばしく酒の肴として珍重され、形の上から撥子(ばちこ)と棒子(ぼうこ)とがある、という。 落語にも出てくる「八百善」や、「辻留」、「大市」は知っていたが、「志保原」と「千もと」は知らなかったので、ネットを検索してみたがわからなかった。 お菓子は両方ともよく知り、お茶の「一保堂」は知っていたが、「柳桜軒」は明治初期からの京都御所南の老舗という柳桜園だろうか。

 北杜夫は「あとがき」で、『別冊文藝春秋』昭和41年新春号に発表した「静謐」について、「私は婦人の和服とか茶や高級な刺繍や菓子についての知識がそのときにはまったくなかったので、すべて母から教わった。また、祖母の印象も取り入れてある。」と書いている。