「静謐」、久文とよ刀自が孫にした話、前半2022/07/30 07:10

 北杜夫の「静謐」、久文とよ刀自にささやかな変化、しかし刀自を知る人々にとっては驚嘆すべき変化が、しばらくまえから現れた。 三男の徳也の娘、四歳の千花が、屡々この祖母のもとへ遊びにゆくようになったのだ。 千花は一時間も、ときには二時間も祖母の居間に入りこんでいることがある。 母親が何をしているか訊くと、「お話、きいていたの」と答えた。

 あるけだるい梅雨まえの一日、幼稚園から戻った千花は、祖母の居間へ出むいた。 この孫を迎えても、茶の無地の結城を着て博多の袋帯をきちんとしめた刀自の表情がべつだんなごむというわけではない。 幼稚園で何を遊んだか訊くと、先生がお話してくださった、と言い、ちょっと真剣な眼差となり、「アクマっているの?」 「悪魔かね、おりますよ」 「おばあちゃま、アクマを見たことある?」 「あたしはねえ、何遍も見たよ」 「ほんと? じゃあ、そのお話して」

 あれはわたくしがね、最初に外国へ行ったときのことだったね。 おまえのお祖父さまがパリのお店へ行かれるというので、あたしがついていった。 そう、世界大戦が終ったあとでしょう、ずいぶん刻(とき)が経ちましたよ。 おじいさまはお仕事をすますとじきに帰国されましたが、あたしは残りましたよ。 おじいさまは、いろいろとお忙しいお方でしたが、ま、そのころあたしもおもしろくない気持でいたのです。 一人で旅行をしたりして気晴しをしていたのですよ。 あてつけみたいな気持でおりましたが、そりゃあ心の中は寂しかったものです。 しかしねえおまえ、女というものは一生のうちに一度はそういう気持を味わいがちなものですよ。 おわかりかえ、おまえ?

 そうそう、悪魔のお話だったね。 あれは冬の初めだったか、あたしは北フランスの田舎に自動車旅行をした。 半年まえくらいからのお友達で、ノエミイ・ド・ドラセラテモンクレーアという女の人に連れていってもらった。 そのころは親切なひとだと思っていた。 だけどおまえ、悪魔の手先だったのさ。

 三日くらいたって、明日はルアーブルへ着くだろうと思っている日に、しなやかな猫みたいな体つきをしていた、その女が、とよ、明日はわたしたちの日ですよって、言うのですよ。 あたしはそのとき、はっきり猫だと思いましたよ。 忍び足で歩く猫、猫っていうのは気味がわるいよ、何を考えているかわからないからねえ。

 次の日、朝発つときになって、色の黒い男がわたしたちの車に乗りこんできましたよ。 アラビア人みたいでしたね。 鋭い目をして口髭を生やしていましたが、挨拶をしたきりほとんど口をきかなくってね。 ノエミイもなにも言わないから、あたしはこの男と彼女とどういう関係かわからなくって困りましたよ。 ただ、つめたあい感じがしてね。 あたしは本当の話、なにかぞっとしましたよ。 悪魔と関係のある連中はみんなあんな感じがするのだね。

白い埃道がずうっとつづいて、畠や林があって、そのうちに霧が出てきてね。 教会の尖塔が見え、蠣(かき)の殻みたいに地面にしがみついている家々がぼうっと見えてきた。 すべてが白っぽく、なんだか海の底にいるような気もしましたよ。

 そこで昼食をするって言うから、これは何という町で? とあたしが訊きますとね、ノエミイは含み笑いをして、わたしたちの町、って言うのです。 すると黙りこくっていたアラビア人の男が、ぼそぼそした声で、わたしたちの町、って同じように言うので、あたしは半分からかわれているようで、半分いやあな気がしましたよ。

 それでもかなり大きな宿屋があってね。 ちょうど午どきで、食堂には幾組かの客がいましたが、話すでもなく、ふかい山の中みたいに静まりかえっているのです。 からい玉葱のスープをすすると、なにか体が敏感になって、ふだんなら感じないような気配まで感じとれるようで、食堂に幾組もいる客たちが、みななにか関聯があるような気がしてね。