『虚子研究号 Vol.V 2015』の虚子、釈宗演2022/08/14 07:57

 本井英さんの「大正四年冬の虚子」に出て来た神津雨村夫妻が虚子に釈宗演禅師の下に参禅しないかと誘った件は、2015年の『夏潮』別冊『虚子研究号 Vol.V 2015』の「虚子研究 余滴の会」が、9月5日に大久保の俳句文学館地下ホールで開かれ、聴きに行って、いろいろ書いていた。

「虚子研究 余滴の会」本井英主宰の「花鳥諷詠の円熟」<小人閑居日記 2015.9.11.>

 あらためて読むと、本井英主宰の「花鳥諷詠の円熟」は、以下のように説く。 四女で「六(ろく)」の死の懊悩を経て、到り着いた境地が、宇宙の運行の中ですべてのものが亡んでいく、そこには「善」もなければ「悪」もないというものであった。 こうしたニヒリスティックな、荒地のような「心」に、美しい「灯」として点されたものが、結果としては「花鳥諷詠」であったと云えなくもない。 それは、大東亜戦争という未曽有の「地獄」をかいくぐる中で錬金されていったものであるということを、確認しておかなければならない、と。

 「俳句」には「季」があるために、総てそこに詠ぜられるところの天然なり人事なりが、特別に美しくなるなり、ゆとりがあるようになる。 即ち「季」があるということのために、俳句は「極楽の文学」と呼べるのだと説く。

 虚子の「ジュリアン・ヴォカンス宛書簡」に、「人生とは何か。私は唯日月の運行、花の開落、鳥の去来、それ等の如く人も亦生死して行くといふことだけを承知してゐます。私は自然と共に在るといふ心持で俳句を作つてゐます。」とある。 これは「花鳥諷詠」が虚子の死生観の根幹に据えられたことを意味している。 人間はこうやって生かされているんだ、という感慨だ。

さらに『虚子研究号 Vol.V 2015』、松岡ひでたかさんの「虚子と雨村、そして釋宗演」を読んで、いろいろと書いていた。

雨村、神津猛と釋宗演<小人閑居日記 2015.9.12.>
釈宗演と慶應義塾・福沢諭吉<小人閑居日記 2015.9.13.>
虚子の参禅、女流俳句萌芽の契機<小人閑居日記 2015.9.14.>
漱石の『門』「父母未生以前本来の面目」<小人閑居日記 2015.9.15.>

 雨村、神津猛は明治25年に慶應義塾幼稚舎に入り、明治32年に普通科を卒業した、「慶應義塾の頃」から俳句を始めた。 釈宗演は、臨済宗の僧、京都妙心寺で得度、明治17年6月、円覚寺塔頭仏日庵に住したが、仏教にも学術が不可欠との考えから明治18年5月、慶應義塾に入り福沢諭吉から洋学を学んだ。 そして、漱石が釈宗演に参禅した『門』にも触れていた。

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