吉村昭さんの小説作法、最初の一行2022/08/21 08:13

 「独自の人生哲学を吉村昭自身の言葉で浮き彫りにする」「日々の執筆、人との付き合い、酒の飲み方、健康管理……」という広告に惹かれて、谷口桂子さんという人(作家・詩人とある)の『吉村昭の人生作法 仕事の流儀から最期の選択まで』(中公新書ラクレ)を読んでいる。

 「最初の一行が決まるまで万年筆を持たない」という節がある。 すべての取材を終えてから原稿に向かうのではなく、四分の一ほどの取材が済んだところで原稿を書き始めた。 短編小説なら、二十日間の時間をあてていた。 まず下書きをする。 一枚の原稿用紙に、細かい字で十枚分を書いた。 三枚で三十枚になった。

 本番の原稿は一日三枚のペースだった。 この間は、一つの作品のみに集中し、手紙を書くことも、読書もせず、まして同時並行などしない。

 学生時代から短編小説を手あたり次第読み、志賀直哉や川端康成、梶井基次郎に傾倒した。 とりわけ梶井の文章は、吉村の根になっていた。 七十歳をすぎてからも、短編を書く前に、梶井の短編をじっくりと文字を追って読むのを習いとしていた。 詩心を自分の身にしみつかせたいからだった。

 小説の書き出しは、もっとも神経をつかった。 ここで、谷口桂子さんは、吉村昭自身の言葉を引く。

 「小説の書き出しをどのような文章ではじめるべきか。それは、小説を書く上で最も重要なことで、最初の一行がきまれば、その小説のほとんどが書き終わったに等しく、その日はなにもしない。書き出しの文章によって、その小説のすべてがきまり、短篇小説にかぎらず、長篇の場合も同様のことが言える。」(「小説の書き出し にがい思い出」『ひとり旅』)